日本人が「平和ボケ」していると揶揄されるようになって50年くらい経ったでしょうか?
広島市の松井市長が、広島原爆の日に平和記念式典で、日本政府に核兵器禁止条約の批准を求める発言をしました。核兵器の廃絶と恒久平和という言葉は確かに美しいですし、一点の誤りもありません。しかし、一方で76回目の原爆の日です。戦後の日本が、およそ75年間謳歌している平和の価値をどう考えるかという課題があります。
広島市の中心を東西に横断する平和大通りは通称100m道路と呼ばれる立派な道です。原爆の日の式典が開催された平和公園の南側を通っています。
その平和大通りにあるパネルには、平和大通りの緑豊かな木々は「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の復興の象徴です。とあります。
”75年”と言ったのが誰なのかは実ははっきりしません。しかし、被爆直後から広島の復興ははじまり、終戦から6年目の昭和26年には人口が戦前のピーク(47万人)を越えています。平和大通りの並木も、遅くとも昭和40年にはほぼ戦前と同じレベルには復活しました。
そして、75年間が経ちました。草木も生えぬどころか、広島は成功したアジアの大都市としての地位を確立しています。
核兵器禁止条約の批准という課題は、志には共感できるものがないわけではありません。しかし、75年間続いた平和の枠組みを変更するというチャレンジをおこなう価値があるのだろうかという疑問があります。このチャレンジには、かなりのリスクがあるからです。
こんなことを言うと非難されそうですが、日本国民が核兵器の脅威も、差し迫った戦争の被害も受けずに75年という非常に長い期間を過ごしてきたわけです。何も今それを見直すことはないように素朴に思います。