禁酒法の時代、アメリカでは14年間だった

新型コロナ感染症を理由として、飲食店での酒類提供を制限しています。「禁酒法」です。

 

21世紀の日本で、唐突に発生した「禁酒法」ですが、本家であるアメリカの禁酒法について考えてみましょう。アメリカの禁酒法は、なんと憲法による規制です。合衆国憲法修正18条というもので、1920年に成立して1933年に廃止されました。アメリカの憲法の条文で唯一廃止されたものです。

 

禁酒法の時代(21倶楽部)
禁酒法の時代(21倶楽部)

僅かに100年ほど前のアメリカで、憲法によってアルコール類が禁止されていたというのは、意外なことです。

 

19世紀後半からアメリカでは敬虔なプロテスタントによるアルコールの禁止運動が続いていました。

しかし、19世紀後半のアメリカは南北戦争(1861~1865年)によって内戦が終結した後、西部開拓時代へと続いており、禁酒運動が顧みられる環境ではありませんでした。

 

アメリカは西部開拓を終えた19世紀末になると、新たなフロンティアを海外へ求めます。アメリカの世界進出がはじまる帝国主義の時代です。カリブ海でスペインと戦争をし、ラテンアメリカに進出し、太平洋ではハワイ王国を併合し、中国大陸にも手を出しはじめます。

 

こうした歴史のなかで、ヨーロッパで第一次世界大戦(1914年)が勃発します。アメリカは(日本もですが)直接的な戦闘の外だったことで大きな被害は免れながら、戦争経済バブルで空前の好景気となります。アメリカは文字通り世界の工場となったために、多くの労働者が必要です。地方から若者が都市に働きに出て来て、世界からの人も仕事やアメリカの富を求めて集まってきます。イタリアやポーランドなど(日本も)からの移民がどんどん増えてきます。

 

一方で、アルコール醸造には技術や伝統が必要です。当時のアメリカで人気のある醸造会社の多くは敵国民であるドイツ人が経営していました。禁酒法のターゲットとされた、バドワイザーもシュリッツもミラーもパブストも全部ドイツ系です。

 

こうした状況を苦々しく感じた、白人富裕層が成立させたのが「禁酒法」です。彼らは教養がない(実際は違っても)と感じる白人と、白人以外のあらゆる人種が、コミュニケーションをとることを嫌ったのです。言い換えると、そういう人たちが幸せになるのを憎んだのです。

 

禁酒法によって、ドイツ系の醸造会社の経営は苦しくなりました(多くは禁酒法解禁後には復活した)し、貧しい移民の青年たちは一日の労働を疲れを非衛生的な宿舎に戻って癒すしかなくなりました。

 

 

しかし、禁酒法と言ってもアルコール飲料を入手することには、さほどの困難はありませんでした。富裕層はニューヨークの21倶楽部に代表されるような高級クラブで杯を傾け、貧困層はもぐりの酒場や自分たちの宿舎で仲間で集まっては語らい飲んだのです。

 

皮肉なことに、禁酒法の13年間でアメリカの酒文化は多彩になりました。国内の醸造所が生産できなくなったことで、海外から多くの酒が密輸入されました。カナダからカナディアンウイスキー、メキシコからテキーラ、カリブ海のラム酒などです。アメリカでつくられるカクテルの種類が増えたのも禁酒法時代です。

 

また、女性の飲酒率も禁酒法時代に伸びました。伝統的な酒場は男性の世界でしたが、もぐりの酒場や自宅のカクテルパーティーは古いしきたりの範囲外です。男性と女性が一緒に酒を飲むという新しい文化が誕生したのです。 

 

禁酒法は、制定の意図とはことなる結果を出しました。民主党のルーズベルトが3代続いた共和党から政権を奪い返した1933年に禁酒法は廃止されます。(禁酒法が制定された1920年も民主党のウイルソン大統領で、拒否権を発動したものの共和党が多数を占める議会で再可決された。)

 

日本のコロナ禍・禁酒法は、どんな新しい”SAKE文化”をつくることになるのでしょうか?