当地(宇部市のお隣の山陽小野田市の厚狭地区)に、三年寝太郎という物語があります。
このブログなので、真偽のほどは追及しないでください。
寝太郎は、厚狭地域の田畑を開いた功労者なわけですが、元々は禰太郎だったという説です。「禰」は神職の禰宜(ねぎ)の禰で、「みたまや=魂をしずめるところ」という意味です。尚、厚狭の隣は、美祢市(美禰)です。
厚狭には鴨神社という古い神社があります。この神社は百済の聖明王妃を祀ったことです。
聖明王妃は、聖明王の第三皇子である琳聖太子と同じ時期に(同時ではないようですが)日本にやってきました。その上陸地点が厚狭というわけです。
琳聖太子がやってきたのは611年で、周防から大和へと上り、聖徳太子を通して日本に仏教を広めたとされます。防長の太守である大内家は、この琳聖太子を祖としています。
禰太郎は鴨神社の神職を務めていたのかも知れません。鴨神社は、778年の創建ですから聖明王妃の渡来からは170年近く後のことです。それでも、渡来系の技術が継承されていて、新田開発に貢献した可能性は残ります。
さらに、寝太郎は子太郎という説もあります。子は子年の子、ネズミです。この場合の子は子午線の子で、北を意味して、北極星のことです。北極星は、不動の存在であり古来より信仰の対象でした。北極星のことを、仏教では妙見と言います。
大内氏の氏寺である山口市の興隆寺には、妙見社が併設されています。妙見社は大内氏の氏神として永く信仰されています。この関係者に、農業や土木技術に秀でた人物がいたのかも知れません。
繰り返しですが、愛飲の寝太郎焼酎を飲みながら考えただけで、大した意味はないので、悪しからず・・。