寝太郎・禰太郎・子太郎・・寝太郎伝説異聞

当地(宇部市のお隣の山陽小野田市の厚狭地区)に、三年寝太郎という物語があります。

 

いつもは朝寝を決め込むばかりで怠け者の寝太郎が、一念発起のうえ大活躍をして地域の発展に大いに役立つというお話です。割とよくあるストーリーです。

 

☞ 2015/03/16 厚狭の三年寝太郎

 

このブログなので、真偽のほどは追及しないでください。

 

寝太郎は、厚狭地域の田畑を開いた功労者なわけですが、元々は禰太郎だったという説です。「禰」は神職の禰宜(ねぎ)の禰で、「みたまや=魂をしずめるところ」という意味です。尚、厚狭の隣は、美祢市(美禰)です。

 

厚狭には鴨神社という古い神社があります。この神社は百済の聖明王妃を祀ったことです。

聖明王妃は、聖明王の第三皇子である琳聖太子と同じ時期に(同時ではないようですが)日本にやってきました。その上陸地点が厚狭というわけです。

琳聖太子がやってきたのは611年で、周防から大和へと上り、聖徳太子を通して日本に仏教を広めたとされます。防長の太守である大内家は、この琳聖太子を祖としています。

 

禰太郎は鴨神社の神職を務めていたのかも知れません。鴨神社は、778年の創建ですから聖明王妃の渡来からは170年近く後のことです。それでも、渡来系の技術が継承されていて、新田開発に貢献した可能性は残ります。

 

さらに、寝太郎は子太郎という説もあります。子は子年の子、ネズミです。この場合の子は子午線の子で、北を意味して、北極星のことです。北極星は、不動の存在であり古来より信仰の対象でした。北極星のことを、仏教では妙見と言います。

大内氏の氏寺である山口市の興隆寺には、妙見社が併設されています。妙見社は大内氏の氏神として永く信仰されています。この関係者に、農業や土木技術に秀でた人物がいたのかも知れません。

 

繰り返しですが、愛飲の寝太郎焼酎を飲みながら考えただけで、大した意味はないので、悪しからず・・。