「TOKYO2020」は、1年延期されましたがどうやら開幕に漕ぎつけそうです。ところで、前回の東京オリンピックを当時の日本政府は日本人の「敗北」と評価していたようです。
1964年(昭和39年)と言えば、戦争で負けてから僅かに19年目です。日本がオリンピックに復帰できたのは1952年(昭和27年)のヘルシンキ大会からで、メルボルン大会、ローマ大会を経て、戦後4回目の参加が自国・東京での開催となりました。当時の日本人にとって、欧米のスポーツ選手を実際に見る機会は初めてと言ってもよかったわけです。
1964年の東京オリンピックで、日本は16個の金メダル・5個の銀メダル・8個の銅メダルを獲得するなど、大躍進を遂げています。国民の熱狂や興奮も記録として残っています。
16個の金メダルの内訳はレスリング5個・ボクシング1個・ウエイトリフティング1個・柔道3個、それに、体操の5個と東洋の魔女の女子バレーボールでした。
柔道は東京大会で初めて採用された競技です。日本が有利で全3階級で日本人選手が優勝しました。無差別級でヘーシングが下馬評を覆して神永を破って優勝したことは有名です。ヘーシングは身長198㎝(体重120㎏)で神永は178㎝(102㎏)でした。
実は、よくみると体操と女子バレーを除くと、体重による階級制がある競技で、しかも日本人の金メダルは軽い階級ばかりです。階級制の無い陸上競技(マラソンの円谷の銅メダルのみ)、水泳(男子の200m×4リレーで銅メダルのみ)ではあまり活躍を見せられませんでした。他に階級制の無い競技の銀・銅メダルは、体操(銀4・銅1)と男子バレーボール、射撃フリーピストルの銅メダル2つでした。
当時の日本人が体力で他の国の人に見劣りしていることを、国民に実感させるオリンピックでもあったわけです。早速、この年(1964年・昭和39年)11月に、今に続く国民の健康・体力増強への取組みがスタートしています。
”国の繁栄のもとは、たくましい民族力にある。たくましい民族力を育成するには、高い徳性、すぐれた知性とならんで強じんな体力を培うことが肝要である”
それほど、東京オリンピックの「敗北」はショックだったのです。
1964年から57年が経過しました。日本人の体力も大いに向上しました。
前回のリオデジャネイロ大会でも階級別競技の軽量級のメダリストはウエイトリフティングの三宅選手だけです。陸上競技では100m×4リレーの銀メダル、水泳ではメダル合計7個、卓球3個とバドミントン2個のメダルも獲得しています。
そして、日本人の体力向上を象徴するのが、何よりこの方ですね。凄すぎwwww~