1952年に中小企業診断員制度ができて、1954年には荒木東一郎を中心にして中小企業診断協会が発足しました。
☞ 2021/05/27 日本最初の経営コンサルタント、荒木東一郎と中小企業診断協会
当時の中小企業診断員というのは、自治体の職員が登録されていたので、プロの経営コンサルタントというわけではありません。中小企業の経営合理化を指導するといっても、生産技術も販売ノウハウも知識や経験がありません。どうしても、診断員の活動は中小企業庁という役所仕事の延長線上に限られていたようです。
終戦から10年を経て、1955年(昭和30年)頃から、日本は高度経済成長期へと突入します。
国際社会に復帰した日本の企業は、大小を問わず激しい競争にも巻き込まれていきます。
自動車産業などで、新しい大企業が生まれ、中小企業がその下請けを担うという構造が徐々に定着していきました。日本が国際競争に打ち勝つには、大企業に比べて生産性で劣る中小企業の生産性向上は必須の要件でした。
1963年(昭和38年)に成立した中小企業基本法は、大企業と中小企業の二重構造によって生じる生産性・賃金・資金調達などの格差是正を主な目的としています。中小企業診断員には、中小企業の生産性向上、経営の近代化・高度化への支援が求められました。
当時の中小企業診断員の主な職責は、設備近代化診断と高度化診断でした。中小企業や企業組合が設備投資をする際には、診断と融資が組み合わされるようになりました。これらの診断を公的機関出身の診断員だけでおこなうことは困難で、徐々に民間出身の診断員が増えていきます。ただし、税理士さんが診断員を名乗ることが多かったようです。
中小企業基本法の成立と同じ1963年に中小企業指導法が制定され、中小企業診断協会による中小企業診断員試験(鉱工業と商業の2分野制)がはじまります。それまでは任命されるものだった中小企業診断員が資格となりました。中小企業診断協会は付属機関として企業経営通信学院という診断員受検予備校を設けてもいました。この学院のトップも荒木東一郎でした。
言葉は悪いのですが、それまでの中小企業診断員は何かの伝手があれば、勝手に名乗ることができました。それが試験を経て、はじめて認められる資格となった(正確には、1962年に試験に先行して中小企業大学校に養成課程ができています。)ことで、中小企業診断員は人気資格になったようです。
特に大衆化が進んでいた当時の金融機関の職員にとっては、コンサルティングノウハウを身に着ける好機と思われ、多くの方が受験をしました。
尚、1969年(昭和44年)に中小企業診断員は中小企業診断士に名称が変わりました。