日本最初の経営コンサルタント、荒木東一郎と中小企業診断協会

日本で経営コンサルタント(マネージメント・コンサルタント)という職業が確立したのは、1955年(昭和30年)以降のようです。

 

もちろん諸説あるのですが、日本で最初の経営コンサルタントは荒木東一郎とされています。荒木は1895年(明治28年)に東京で生まれました。現在の東京工業大学を卒業後、一旦は藤倉電線に入社するのですが、すぐに当時の農商務省の留学生としてアメリカに渡り、IEを学んで理学修士を取得した後に、欧州を視察してから帰国します。

 

荒木東一郎
荒木東一郎

帰国した荒木は、1923年(大正12年)に荒木能率事務所を開業しました。日本で初めての独立した経営コンサルタントの誕生です。

但し、この頃は経営コンサルタントという言い方は定着していなかったので、「能率技師」とか「能率顧問」とか言っていたそうです。

 

戦後、1948年(昭和23年)に商工省の外局として中小企業庁が発足します。

中小企業は戦前にもあったのですが、多くが商工組合のような形式でまとまって事業をしていたようです。戦後になって、こうした組合の多くがGHQから閉鎖の命令を出されて解体します。

 

こうしたなかで、戦禍を生き抜いた人たちが多くの中小企業を新たに設立していきました。しかし、手酷く傷んでいた日本経済は、戦後復興を急がなければなりません。傾斜生産方式を採用して鉄鋼や電力など重厚長大型産業に資金も資源も集中投下していきます。

この結果、多くの中小企業には経営資源が十分に行き渡らず、激しいインフレと過当競争によって経営がうまくいきませんでした。

 

中小企業庁はそういった苦境にあえぐ中小企業に対して、金融政策・組織化・診断指導の3本柱で支援をおこなうことを目的にして発足しました。

金融政策では、1949年の商工組合信用金庫にはじまり、国民金融公庫、中小企業公庫、中小企業信用保険、信用保証協会などが、1952年までの間に矢継ぎ早につくられました。

組織化はGHQの抵抗もあって、少し時間がかかりましたが、中小企業団体法が1957年に成立します。

 

3本目の柱である診断指導は、中小企業庁設立と同時に中小企業診断制度の基になる「審査制度確立に関する措置」が定められ、診断指導局が設置されました。初代の診断指導局長には、荒木能率事務所で能率技師として活躍していた園田理一が就任します。

 

その後、現在の中小企業診断士につながる中小企業診断員が誕生したのは1952年(昭和27年)のことです。当時は自治体の職員が診断員として登録されて、工場や商店、組合の指導に無料で当たっていました。そして、1954年(昭和29年)に、荒木を中心にして中小企業診断協会(理事長は工藤昭四郎)が設立されます。

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