二刀流、と言えば宮本武蔵~巌流島~

エンゼルスの二刀流・大谷翔平選手の活躍が止まりません。今日は、昨日の死球の影響で先発登板を回避しましたが、打者としてMLBトップの9号ホームランを含む2安打を放ちました。

 

大谷選手の二刀流は日本式の呼び方で、アメリカでは two-way player と言います。野球は、守備と攻撃が分離している競技(他にはアメリカンフットボールなども)で、選手は投手か野手のどちらかに登録され、シーズン中は変更できません。現時点で、その唯一の例外が大谷翔平選手で two-way player として登録されています。

 

巌流島の戦い(武蔵と小次郎)
巌流島の戦い(武蔵と小次郎)

二刀流といえば、大谷翔平以前は、宮本武蔵しか思い浮かびません。

武蔵は江戸時代初期の剣豪として知られています。1584年に播磨国・美作国のいずれかで生まれています。

 

子供の頃から剣術に秀でており、“13歳で初めて勝負し、新当流有馬喜兵衛に勝つ。16歳で但馬国の兵法者に勝つ。21歳で京で数度の勝負。29歳まで諸国の兵法者と六十余度戦い負けを知らず。”とあります。関ヶ原の戦い、大坂の陣、島原の戦いに参戦したことはわかっていますが、詳細は不明です。その後、武蔵は、剣術と兵法で名を成したわけですが、具体的なことはよくわかりません。

はっきりしているのは、亡くなるまでの5年間、熊本藩主細川忠利の客分として熊本に暮らしたことです。兵法指南と絵画や工芸、連歌などの創作に励み、1645年に亡くなっています。

 

武蔵の兵法を二天一流と言います。二天一流では、両手に刀を持つ二刀流を指南しています。武士は二本差しというように、本差と脇差の二本の刀を腰に差しています。二本あるのだから両方使うというのは、目から鱗ですが合理的な感じがします。

 

武蔵が書いたのが「五輪書」です。地・水・火・風・空の五つの章に分かれています。地で戦いに向かう心構えを説き、水で剣の技術を伝え、火で試合での戦い方、風で他流と戦う法、空で戦いのなかの心理を語ります。経営の指南書として読む人も多いですね。

 

武蔵の戦いで最も有名なのが、佐々木小次郎との巌流島の決戦です。小説や映画でも、クライマックスとして描かれます。

1612年におこなわれたとされていますが、その経緯も詳細もよくはわかりません。当時、武蔵も小次郎も豊前細川藩の召し抱えだったようです。仲間内の喧嘩いざこざが殺し合いに発展したわけですから、実際は褒められたものではないのかも知れません。

 

さて、決闘の聖地となった巌流島は関門海峡にある小さな島です。下関の唐戸桟橋から10分で到着します。特に施設があるわけではないので、広場を散策します。三密もなく、感染症のリスクもなさそうです。関門橋を前面に、本州と九州を一望できる風光明媚なところです。

 

ぜひ、おいでませ!山口へ ☞ 関門ナビ「巌流島」