1552年旧暦12月9日(西暦12月24日)、山口市で降誕祭が行われました。 これが日本で初めてクリスマスが祝われた日とされていることから、12月の山口市はクリスマス市です。
この説明の前段には、山口を治めていた大内氏の当主だった大内義隆が、スペイン国王の命を受けて日本にやってきたカトリックの宣教師フランシスコ=サビエルの布教の願いを寛容な心で受入れて・・とあります。こうなると、最初のクリスマスを祝ったのが、サビエルのような印象を持つのですが、実は1552年当時、サビエルは既に日本を離れてインドにいました。
インドのゴアで宣教監督を務めていたフランシスコ=サビエルは、日本でもキリスト教を布教するために、1949年8月に鹿児島に上陸しました。日本にキリスト教がはじめて伝来したわけです。
日本の元号では天文18年になります。
サビエルは、鹿児島⇒平戸⇒山口⇒京都⇒山口⇒平戸⇒山口と宣教活動をおこないます。
サビエルの三度目の山口入りは1551年4月のことで、この山口市で宣教の成果が表れ、約500人の信者を得たとされています。その後、サビエルは大分へと向かい、1551年11月には再びインドへと戻ります。
コスメ=デ=トルレスは、サビエルと共に日本にやってきたイエズス会の宣教師です。
サビエルが山口を去った後も、山口に残ります。1570年に天草で亡くなるまでの18年間、山口や九州各地で、日本人と同じように生活をして、日本文化に適応するようにキリスト教の教えを広めていきました。
日本で最初のクリスマスを山口市で主宰したのは、サビエルではなくトルレスなんです。
さらに、もう一方の主役である大内義隆です。
義隆がサビエルに山口での布教を正式に許したのが1551年4月です。その4か月後、義隆と険悪な関係になった周防国守護代の陶隆房(改名して陶晴賢)が謀反の兵を挙げます。長門国守護代の内藤興盛が黙認したことから、大内軍は敗れます。義隆は、1551年9月1日に長門湯本の大寧寺で自害して、大内氏は事実上滅亡します。
日本で最初のクリスマスには、サビエルも義隆もいないわけです。
というわけで、山口市はクリスマス市というパンフレットはちょっと誤解を生みそうです。
まぁ、そんな昔のことはともかく、冬も素敵な山口です。
おいでませ!山口へ。