経験は標準化できるが、経営は標準化できない

中小企業の経営者は、決まった様式に経営計画を書き込むよう依頼されることがあります。

 

融資を受ける際、いろいろな補助金や助成金を申請する際など、事業計画や経営計画を書いて提出することが求められるのです。それぞれに様式があって、これに書き込みなさいとなっています。つまり、事業や経営の将来構想を、標準化したフレームに記入するわけです。

 

フレームワーク
フレームワーク

この標準化されたフレームというか、様式が結構使い難いのです。

ある主体が、きまった様式を使うのは、標準化をしようということです。標準化する理由は、いくつかあるのですが、受け取る側の都合を考えている場合が多いです。

 

標準化した様式に記載できるほど、見える化や言語化ができている経営というのは、仮に公開企業でも、かなり難しいです。

過去の経験、実績を言語化するのは可能でも、これからの経営の行く末を言語化するのは、とても困難です。

 

経営は、つきつめれば”おもい”です。おもいは、思い(考え)でもあり、想い(感情)でもあり、念い(信念)でもあり、重いものです。

考えれば考えるほど、願えば願うほど、信じれば信じるほど、将来を言葉にはし難いです。

 

事業や財務の計画を立てるのも、本当は不遜です。売り上げも利益も、顧客や社会から受け取るものです。将来の顧客や社会が、自社のためにどれほどのものを出すのかを、数字化することは躊躇されて当然です。神様の考えや行いを予想することはできません。

 

経営は標準化できないし、必ずしも様式にはまるものではないと心得ます。

様式やフレームからは、どれだけはみ出しても構わないですし、全てが埋まらなくても構わないのです。それでも、何とか過不足なく書きだそうとするのが人の常なんですが、自分は自分と割り切って経営することが大事です。