科学的合理性が社会の合意を得られない現実は、新型感染症でもそれ以外でも同じです。
科学的合理性が社会の合意を得ることはとても難しいのです。社会的合理性というのは、曖昧なものです。更に個人や集団(最近流行りのクラスター)の利益や思惑が複雑に絡まっていきます。これに諸々の権力とか、支配や被支配という分断が関わります。
新型感染症の場合も、科学者が科学的合理性によって社会を説得することは難しいと思います。現実に、公共の利益が最大になるような合意を形成することはできませんでした。
今回の政府が発動した各種の施策は、ある意味では社会が政府に強要した当然の帰着であり、社会的合理性に沿ったものだと思います。
科学的合理性が社会の合意を得られない原因は主に2点あります。
1点目は科学には100%というものがなく、何らかの不確実性があるということ。
2点目は科学的合理性の証明(それでも不確実性がゼロにはならないのですが・・)には長い時間がかかることです。
科学者に対する必殺のキーワードは「100%言い切れますか!」ですね。優秀で善良な科学者であればあるほど、YESと返すことはありません。しかし、社会は白か黒か、0か100かという答えを求めるので、本物の科学者は無力です。
ちなみに、テレビやYouTubeに出るようになった(言葉は悪いですが、暇な)専門家は、もう科学者ではありません。どうしても、マスコミは白か黒かの発言を要求するので、それに応えられる人だけが出演しています。科学的に正しい発言は、司会者によって遮られるか、画面を替えられてしまいます。
感染症のウィルス検査が陽性でもウィルスに感染していない、あるいはその逆である確率はかなり高いのですが、そんなことはいいません。全知全能の神が検査しているように言います。
早期にワクチンをつくって接種するべきという人もいますが、ワクチンが効果が出ない人は必ずいます。そして、一定の確率で重篤な副作用が出る人がいます。
アメリカの1976年の豚インフルエンザでは、感染によって死亡したのは1人だけでしたが、ワクチン接種で500人がギランバレー症候群を発症して30人が亡くなっています。
そして、新型感染症のリスクアセスメントが完了するには年の単位の時間が必要です。
現時点では重大な疾病ではないことが、およそは判っています。しかし、証明するには症例が少なすぎます。つまり、化学的合理性の証明にはもっと感染症が拡がって、いろいろな人種、地域の老若男女のサンプルが揃う必要があるというジレンマがあります。
ちなみに、環境関連でも同じです。
地球温暖化が人類の活動に由来する温室効果ガスの排出によるものだという科学者たちの指摘は比較的不確実性が高い(もちろんほぼ確実なのですが・・)と思います。そして、この合理性の証明には未だ長い時間がかかり、結果として地球温暖化に対抗する施策に、全世界的な合意を得ることが叶っていません。
大気汚染でも水質汚濁でも土壌汚染でも振動騒音の問題でも同様です。
環境影響の大きさは科学的合理性で一応は評価されていますが、人の健康という課題ではその評価には時間がかかります。土壌汚染の環境基準では土であれば70年間毎日100㎎とか200㎎を摂取し続けた人と摂取しなかった人に差がでる可能性がある、水であれば毎日2リットル飲み続けた人とそうでない人に差がでる可能性があるかという基準になっています。
こういう基準でなければ、社会の合意が得られないのです。
公共の合意をつくる役割を担っている政治家やマスコミが、科学的根拠がない!と政策を非難するのは間違いです。