ラグビーの試合を生で観たことは3回しかありません。最後が10年くらい前に秩父宮ラグビー場での東芝vsサントリーの試合です。
ラグビーに関しては「にわかファン」にも当たりません。ほとんど、何の知識もないのですが、東京に単身赴任していたときに、一人で何となく行っただけです。当時は東芝vsサントリーが2強ですから、盛り上がっているだろうと、雰囲気を感じようと思ったわけです。
私は東芝もサントリーも関係ないですし、どんな選手が試合に出ているのかも知らないのです。前半は東芝を応援して、後半はサントリーを応援して、などと不謹慎なことを考えていました。
秩父宮ラグビー場に行ってみると、2強の戦いで結構な観客が入ってはいますが、満員にはほど遠くてゆったりしています。
応援も賑やかではありますが、プロ野球やサッカーJリーグのように熱狂的過ぎる(贔屓の引き倒しのような)応援はありません。
東芝側もサントリー側も両方が一緒になって選手を鼓舞して楽しんでいました。観客席はワンチームのようです。言葉を変えれば、試合中から観客席はノーサイドですね。
ちょっと新鮮な感覚です。ラグビーという競技の特徴なんだろうと思います。
秩父宮ラグビー場は、戦後に東京ラグビー場としてつくられました。日本ラグビー協会の名誉総裁であった秩父宮さまが亡くなられた後に、秩父宮ラグビー場と改称されたものです。
秩父宮さまは大正天皇の第二皇子、昭和天皇の弟宮にあたります。昭和天皇が即位してから、現在の上皇陛下(平成天皇)がお生まれになられるまでの8年間は皇嗣として皇位継承順位1位だったこともあります。
秩父宮さまは、登山とスキーとラグビーを愛したことで知られています。とりわけ、ラグビーに対する思いは強かったそうです。東京ラグビー場の建設現場に足を運び、作業員を激励したというエピソードもあります、また、東大阪市の花園ラグビー場も秩父宮さまが「この場所にラグビー場をつくってはどうか」と提案したことがきっかけで建設されたそうです。
秩父宮さまは、昭和28年の正月に50歳の若さで肺結核によって亡くなられています。もう少し生きておられたら、日本のラグビーの今は変わっていたかも知れません。