新聞記事の見出しをみて、最高気温が1度というのは地球温暖化の影響か?と思いました。
恐らく、私以外にもそう感じた人も多かったのではないか?と想像します。しかし、毎年この時期の昭和基地の気温はこんなもので、特に低くも高くもないようです。2019年の1月6日の最高気温は1.8℃、2018年は3.8℃、2017年は-1.0℃でした。
考えてみれば、南極は今が真夏です。24時間ずっと明るい昼間です。いくら寒い南極とはいえ、夏は気温からみれば、現在(冬)の北海道や東北と同じくらいなんですね。
ちょっと安心しました。
昭和基地では2月に入るころから気温が下がり始めて、8月の終わりごろが最も寒くなります。最高気温-15℃で、最低気温-25℃くらいになるようです。
最低気温-25℃は国内でも記録されることがしばしばありますが、最高気温の-15℃はさすがに南極ですね。
さて、南極観測船の艦名しらせは、白瀬矗(のぶ)中尉の名前を冠したものです。
白瀬は、維新への胎動が大きくなった1861年に、秋田の寺の長男に生まれます。早くも11歳のときに探検家の道を志した白瀬は、寺を弟に譲って陸軍に入ります。
千島樺太交換条約で千島列島が日本領となった後、白瀬は越冬探検に志願します。この経験から探検の目的地を南極点に置いた白瀬は、南極探検の計画を立てます。
紆余曲折の末、明治43年(1910年)11月に白瀬の船は東京港を出発します。ときに白瀬は49歳となっていました。同じく1910年の6月にスコットがロンドンから出航しており、8月にはアムンゼンがノルウェーの港を出ています。
南極点を目指したイギリス・ノルウェーの2つの探検隊のその後は、よく知られた通りです。スコット隊は1912年1月に南極点に立ったものの帰還できず全滅します。アムンゼン隊はスコットに先がけて1911年12月に南極点に立ち、全員が帰還します。
一方の白瀬隊は1912年1月に南極大陸に到着したものの僅か15日ほどの滞在で南極点への到達を断念して日本に戻ります。白瀬の計画は資金も装備も十分ではなく、そもそも南極点への到達は無理なものでした。
それでも、スコットやアムンゼンと同じ時期に、日本人としてはじめて南極大陸に挑み、一人の犠牲も出すことなく帰国したことは素晴らしい探検だったと言えます。