正月が四十を越せば飛んで来る

武玉川の有名な雑排です。読まれたのは今から270年くらい前の江戸時代のことです。

 

年を取ると一年が早く過ぎ去って、あっという間にまた正月が来るというわけです。ご同輩の皆様はいかがでしょうか? まだまだ1年は相当に長いような気がしますし、思い返せば若い頃と比べるとずいぶん短かいような気もします。まぁ、世間のお正月休みも今日で終わりですから、新しい1年をしっかり頑張りましょう。

 

信長の出陣
信長の出陣

織田信長が桶狭間の戦いに出陣するときに舞ったといわれる「敦盛」で「人生人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」というように、昔は寿命が短かったのです。

 

50歳を寿命とすれば40歳は8割ですから、人生100年時代の現代であれば正月が飛んで来るのは80歳くらいになってからなのかも知れませんね。

 

敦盛は平清盛の甥、平敦盛のことです。当時16歳の美少年だった敦盛は笛の名手でした。源平合戦において、「一の谷の戦い」で源氏に押された平氏は退却を余儀なくされます。退却の船が浦を出るなか、敦盛は愛用の笛を忘れたことに気づきます。

 

船に乗り遅れた敦盛を源氏の武将・熊谷直実が見つけて打ち取ります。直実は源氏のなかでも屈強な武将であり、弓の名手としても知られていました。ところが、直実は将来ある若武者を討ったことに心を苦しめられ、ついに出家してしまいます。

 

法然に弟子入りし蓮生と名乗った直実は、修行を重ね、浄土宗の教えを広めて、各地に寺院を開基していきます。そして、直実は建永2年9月4日に「予告往生」によって66歳で亡くなります。

 

予告往生というのは、死期を悟った直実が辻に高札を掲げて、9月4日に往生するので皆で見物に来るようにと促したものです。9月4日早朝、沐浴をして臨終の支度をした直実は、大勢の人が見ているなかで、声の限りに念仏を唱えます。

やがて、念仏の声が途切れると、口から光が溢れ、空に紫雲がたなびき、天上の音楽が流れ、芳香がただよったそうです。

 

まだまだ、この境地にはなれそうにありません。