山口県には「○○開作」という地名がたくさんあって、皆は当たり前に思っています。
新しく田んぼや塩田を開いた土地のことを「開作」というのは、実は山口県だけです。毛利藩(萩藩)の独特な言い方です。小野田市から宇部市厚南(厚狭郡の南という意味)にかけて、たくさんの開作があります。
写真は高泊開作の碑です。この開作は1668年に完成したもので、面積は400haもあります。この開作の排水樋門は浜五挺唐樋といいます。
唐樋というのは潮の干満で樋門が自然開閉する仕掛けになっています。唐樋が5つあるので浜五挺唐樋といいます。新しい樋門が1990年にできたので、今は使われていませんが史跡として保存されています。
もっとも、江戸時代初めから平成まで300年以上も機能していたことは驚きです。
この後、高泊開作の後ろ側を新たに改作したのが後潟開作です。江戸中期にはいって高泊開作から海側を干拓したのが西の浜開作です。
さらに江戸後期に、この沖に吉敷毛利氏の毛利元潔が改作したのが吉敷開作です。明治になって、小野田新開作ができたので、吉敷開作は古開作と名を変えました。
(私は古開作に10年ほど住んでいました。)
宇部市のほうは厚南平野といいますが、人工の平野です。上開作、中開作、中野開作、際波開作、妻崎開作、と地名も○○開作ばかりです。(中野や妻崎は旧の村名です)
中国地方全域を支配していた毛利氏は防長二国に押し込められたので、必死に土地をつくっていったのです。農業を振興して、経済力を高めるには土地が必要だったわけです。
開作に関わる史跡はそこここに残っていますから、歴史好きには開作巡りも面白いです。
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