昨日のブログで「門前市を成す」と使ったところ、最近はあまり使わない言葉だそうです。
Webの辞書には「門前市を成すとは、その家を訪ねてくる人がきわめて多いことのたとえ。また、商売繁盛してたくさんの客でにぎわっている様子。」とあります。商売繁盛目出しです。
一方で「門前に人や車馬が群がり集まる。権力や名声を慕い、出入りする者が多いたとえ。」と書いてあるものをあります。こちらはちょっと生臭い。
「門前市を成す」は本来の意味は、後者に近いのです。
戦国時代、斉の国の宰相が威王に言いました。
「私の周りの人達は、私のことを素晴らしい人だと褒めます。本当に私をことを素晴らしいと思っているのではなく、宰相となった私から便宜を得ようとしてお世辞を言っているのです。
私にさえおべっかを使うのですから、王様にはもっと偽りの賞賛を言うものが多いでしょう。裸の王様にならぬよう、気をつけてください。」
宰相からの諫言を聞いた威王は、これをもっともな意見だと聞き入れます。
そして、なんと「王の過ちを指摘したものには、決してそれを咎めず、褒賞を出すので、門前に集まれ!」というお触れを国中に出しました。
そうすると、国中から多くの人が威王の過ち、失政や不満を言うために王宮に集まりました。まさに王宮の門前に市がたったような賑わいだったそうです。
この門前市を成す賑やかで騒然とした風景を見ていた王様の気持ちはいかばかりのものだったでしょうか?ちょっと複雑です。
ただ、この賑わいも長くは続かずしばらくすると王宮の門前に人はいなくなり、静けさが戻ります。威王は人格高潔で学問を愛する立派な王様でした。褒美を目当てに集まってきた人たちには本当に王様をけなす事実もなかったのです。こうして斎の国は以前よりも団結を強めて、近隣諸国を従えるようになったということです。威王は裸の王様ではなかったのです。