バケガクかセイミーか?Chemistryのことです

山陽小野田市に日産化学の大きな工場があります。前身は日本舎密(ニホンセイミー)です。

 

日本舎密株式会社は明治22年に渋澤栄一らによって設立されました。硫酸製造が主な事業でした。小野田市には、今でも硫酸町という地名が残り、硫酸瓶が街のモニュメントして飾ってあります。その後、日本舎密は塩酸や曹達の製造にも手を広げていき、日本における酸アルカリ産業の先駆けとなりました。

 

硫酸町
硫酸町

山陽小野田市には、硫酸町の他にセメント町(小野田セメント⇒太平洋セメント)や火薬町(日本火薬)といった地名が今もあります。

 

さて、日本舎密はいくつかの合従連衡をおこなった後、昭和12年に日産化学工業株式会社と社名を変えて現在に至ります。現在でも硫酸を製造していますが、基礎化学品だけでなく多くの機能性化学製品を開発製造している優良企業です。

優秀な農薬も製造しており、ラウンドアップというシリーズは使ったことのある人も多いと思います。

 

さて、舎密(セイミー)という社名はピンとこない人も多いと思います。語源は、Chemistry(化学)です。

実は、Chemistryの訳語について、舎密と化学が争った時期があるのです。

 

1820年代にオランダから輸入した化学書(1799年にイギリスで出版された”Elements of Experimental Chemistry”のオランダ語訳)を日本語に翻訳することになった宇田川榕菴は、Chemistryを音訳して「舎密」という訳語を発明します。「舎密開化」という題の本は、日本最初の化学書です。これによって、日本では舎密が定着しましたが、音訳ではしっくりなかったようです。他に、「還元」「試薬」などが宇田川が発明した用語です。

 

同じように中国においてもChemistryの訳語が必要になりました。その際、「化学」という言葉が上海で独自に発明されました。

中国の文献に化学という言葉が最初に登場するのは1855年のことです。テーラーという外国人が、何かの液体に硫酸を加えたら色が変わって、これがChemistryだと言ったのを「化学」と書き表しています。この化学という言葉が中国から日本に輸入されます。日本の文献に化学が登場するのは翌1856年です。

 

舎密ではしっくりきていなかった日本人は化学のほうが好ましいと感じたようです。わずか数年で1850年代の終わり頃には、舎密に変わって化学が優勢になってきます。

渋澤栄一は1840年の生まれです。舎密が化学に変わっていく時期に青年でした。1889年に設立した会社に、日本舎密という社名をつけたのは若い頃の何かの思いがあるでしょうか?

 

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