日韓関係に出口が見えないのですが、1965年に遡ってifを考えてみると?
何かと話題の日韓基本条約が締結されたのは1965年です。当時の日本の首相は佐藤栄作で、韓国の大統領は朴正煕です。その当時の朝鮮半島は金日成の率いる社会主義独裁の北朝鮮と、軍事独裁の韓国とに南北で二分されていました。当時の両国の国力は人口が2倍の韓国が優勢でしたが、一人当たりのGDPではほぼ同等でした。
今からおよそ55年前にあたる1965年当時は、人口が多く農業国である韓国と、鉱物資源に恵まれた北朝鮮という関係です。
朝鮮戦争が休戦したのが1953年ですから、僅かに12年です。朝鮮半島の南北はどちらも戦争の傷が癒えていないままでした。
当時の日本の政治情勢は佐藤栄作が率いる自民党が60%、社会党を中心に民社党・共産党の左派勢力が40%という構図です。いわゆる55年体制というものです。
この当時(実際は20年位前までずっと)、社会党など左派は北朝鮮が朝鮮半島における正統な国家だとしていました。このため、日韓基本条約の締結には日本国内の左派勢力から大きな反発がありました。佐藤栄作がかなり強引に(国会の強行採決)韓国との条約を結び国交正常化を果たしたのです。韓国を朝鮮半島における合法政府と認めたわけで、裏返すと北朝鮮とは断交したということです。
佐藤栄作という総理大臣はいろいろな評価がありますが、非核三原則を確立し、誰も出来ないと思っていた沖縄返還を成し遂げるなど、剛腕であったことは確かです。
日韓基本条約と日韓請求権協定によって、日本は韓国に官民合わせて11億ドル、当時の韓国の国家予算の3年分という巨額のお金を名目(経済協力なのか賠償なのか)はともかくとして贈りました。この資金を元手にして、成し遂げられたのが漢江の奇跡と呼ばれる韓国の工業化であり経済発展です。
韓国が経済成長して北朝鮮を引き離していくことに焦りを感じた金日成は、自国のスパイ国家化を進めます。この過程で多くの日本人が拉致されていったわけです。
現在では、韓国のGDPは北朝鮮の約100倍です。人口がほぼ2倍ですから、一人当たりでは約50倍にもなります。飢饉になると多くの餓死が出るという北朝鮮と、ロシアを抜いて世界10位の先進工業国になった韓国との差はもう埋めようがありません。
韓国では1979年に朴正煕が暗殺されます。1980年代の全斗煥政権を日本国内の反対を押し切って経済的に支えたのが中曽根康弘です。韓国は1987年の民主化宣言、1988年のソウル五輪へ向かいます。1997年のアジア通貨危機も日本政府(橋本龍太郎)が強く介入して乗り切ります。そして、2002年の日韓ワールドカップ共催へとつながります。
歴史にifは禁物ですが、1965年の日本の政治情勢が左右反対になっていたとすれば、左派に剛腕の総理がいて日朝基本条約の締結をしたとすれば、・・。漢江の奇跡ではなく、大同江(平壌を流れる川)の奇跡がおこって、北と南の地位が逆転していたかも知れません。
北朝鮮が経済発展して民主化している姿は想像が難しいですが、資源がある国ですから世界の経済強国になっている可能性は高いです。何より、日本人拉致問題は起きていません。
ちなみに、佐藤栄作は山口県の人です。実の兄が岸信介で、岸の娘婿が安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)です。佐藤栄作は韓国にとっての恩人(中国における田中角栄に当たる)のような気がするなんて言うと、ただ余計なことをしただけだと、怒られそうですね。