山頭火のうしろすがた

今日も昨日の続きで、種田山頭火のうしろすがたを紹介してみます。

 

種田山頭火・本名:種田正一は、明治15年12月3日に防府市八王子で素封家であった種田家の長男として生まれました。正一が10歳のときに、突然に母フサが父の女遊びを苦にして自宅の井戸に身を投げます。その後、山口中学から早稲田大学に進んだ正一ですが、2年で中退して防府に戻ります。父子が代々の家屋敷を売り払った金で始めたのが酒造業でした。

 

山頭火(山口市:金光酒造)
山頭火(山口市:金光酒造)

防府市大道に開いた種田酒造場は、明治40年に開業します。この頃から、正一は山頭火の俳号で自由律の俳句を書き始めています。

しかし、種田酒造場は開業から僅か8年後の大正5年に破産します。父は消息不明となり、弟は自殺します。

 

正一は妻と長男を連れて熊本に落ち延びます。古書店「雅楽多」を開業するもたちまち経営は行き詰まります。結局、離婚して単身上京するのですが、関東大震災に遭遇して熊本に戻ります。

 

熊本市内で泥酔しているところを知り合いに見つけられ、禅寺を紹介されて寺男になります。

その後、寺で出家得度して。近くの観音堂の堂守になるのですが出奔。一笠一鉢の行乞流転の旅に出ます。ときに大正15年、正一(得度して耕畝と改名しています)43歳です。

 

種田山頭火は、北は岩手県平泉の中尊寺から、南は鹿児島まで全国を旅して、1万を超える自由律の俳句を残します。その間、下関市川棚温泉に逗留し、山口市小郡に「其中庵」、山口市湯田温泉に「風来居」を結んで一時期の定住をします。最期は、愛媛県松山市に死の前年に結庵した「一草庵」でコロリと亡くなりました。昭和15年、山頭火享年58歳です。

 

ちなみに、種田酒造場は破産した後、大林酒造場に引き継がれました。戦後になって、大林酒造場は山口市嘉川の金光酒造と合併して金光酒造の防府工場となりますが、現在は酒造をしていません。今は、金光酒造が清酒「山頭火」をつくっています。山口の地酒として有名です。

☞ 「詩情の酒 山頭火 金光酒造」

 

梅雨時期から初夏に詠まれた山頭火の句から・・・

「うまい水の流れるところ花うつぎ」

「水田青空に植ゑつけてゆく」

「山から山がのぞいて梅雨晴れ」

「仔猫みんなもらわれていった梅雨晴れ」

「風は初夏の さつそうとしてあるけ」

 

最後にちょっと意外な句を紹介・・・

「なんといってもわたしはあなたが好きな蛍」

いいでしょ (^_-)-☆

 

おいでませ、山口へ!