久しぶりに西鶴について、「西鶴諸国ばなし」は雑話物とよばれるジャンルです。
西鶴は浮世草子を創設しました。後世の人が、西鶴の作品を好色物・武家物・町人物・雑話物という4つのジャンルに分けています。浮世草子の最初の出版が「好色一代男」、二作目が「諸艶大鏡(好色二代男)」という好色物です。三作目が雑話物の「西鶴諸国ばなし」です。諸国ばなしのほうが先に書かれていたのですが、売れそうになかったのでお蔵入り。好色物で評判になったので、後になって出版されたのではないかとも言われます。
西鶴諸国ばなしは、日本各地のちょっとしたお話を集めた短編集です。5巻に分かれて、各7編が収録されているので全35編です。
その最初のお話が、「公事は破らずに勝つ」です。
昔々(飛鳥時代です)、日本の最高冠位にあった藤原鎌足が管弦のために2つの唐太鼓をつくらせました。
2つの日本の宝ですが、1つは東大寺に、もう1つは西大寺におさめられました。それぞれの太鼓の胴の内側には東大寺・西大寺と書付が施されました。
その時以来、藤原氏の氏寺である興福寺では、毎年の法要に東大寺におさまる太鼓を借りていました。ところがある年に限って、東大寺のほうが太鼓を貸さないと言い出しました。古代よりの慣習ですから、興福寺は何とか説得をして、ようやく東大寺から太鼓を借りました。
すると今度は、興福寺の側が法要が終わっても太鼓を東大寺に返さないと言い出します。東大寺の側は返せと督促しますが、興福寺のほうでは争いの素になるから返すくらいなら焼いてしまえと乱暴なことを言う若い僧まで出てきます。
そこに老法師が一計を案じます。先ず、太鼓の胴の内側にある東大寺の書付を削り取り、改めて元のように東大寺と書いて皮を貼り直しました。そして、このまま東大寺に太鼓を返しますと、東大寺の側はほっと安心です。
翌年、興福寺が太鼓を借りにいきますと、案の定、東大寺の側はもう貸さないと言います。争いを解決するために、両寺は奈良奉行に申し立てをします。
奉行は太鼓の胴をあらためて「古代の書付が判別できないので、これ以降、太鼓は興福寺の所有とし、置き場は東大寺とする」と裁定して、一件落着となりました。めでたし・めでたし。
大岡裁きや遠山の金さんなどと同じ裁判物ですね。
奈良奉行のファインプレーというわけです。現代の裁判や法律の厳密さからみればとんでもないことですが、どちらも相手を破らずに勝つという裁定は平和をつくりそうです。但し、この裁きは、後々に禍根を残しているかも知れないと、ちょっと心配です。