ちょっと唐突です。川崎市の事件に絡んでリスクアセスメントの話を書こうと思ったのですが、気持ちが萎えてしまいました。そこで、万葉集に書かれた恋愛のお話。
日本では、古来から現在に至るまで、女性が美しく輝き、活き活きとしています。日本の女性は総じて賢く、男性を上手く手なずけて、実質的に支配しています。今の日経新聞の「わたしの履歴書」は橋田寿賀子さんが書かれていますが、日本の国を動かしているのは、いつも女性ですね。さて、最古の歌集の有名な相聞歌です。
石川郎女と大伴田主とのやりとりです。
石川郎女が贈ります。
「遊士と吾は聞けるを宿貸さず吾を帰せりおその風流士」
”あなたは粋な人だと聞いていたのに、私を泊めないで帰すなんて、出来損ないの風流人だったわ”といったところ。
私はあなたと一緒に寝たかったと言うことです。
大伴田主が返します。
「遊士に吾はありけり宿貸さず帰せし吾そ風流士にある」
”いやいや私こそ風流人だよ。何しろあなたを泊めることをしないで帰したのだから”と返しています。
女性から泊めてくれと言われて、すぐに受け入れるのは粋じゃないということです。裏返すと、私の方から行きますから待っていなさい、といった感じでしょう。
万葉集に出てくる石川郎女には諸説あり、どうも複数の人物のようです。最も美しい説をとれば、次のようになります。
とても美しく可憐な少女だった石川郎女は、草壁皇子(天武天皇の皇太子)に見染められて宮中に迎えられます。草壁皇子は早逝してしまうのですが、美しさに教養も兼ね備えてきた石川郎女は弟宮(異母弟)の大津皇子に愛され、その侍女として仕えます。
ところが、大津皇子は皇位継承を巡る争いで、持統天皇(草壁皇子の母)によって死を命じられます。石川郎女は若くして二人の皇子に愛されながら、ともに失いました。
その後の石川郎女は都を舞台に、奔放な恋に生きたようです。
さて、画像(イラスト)にリンクを貼っているのが香川県宇多津町の「平成相聞歌」です。
令和になって、名称をどうするのかわからないのですが、宇多津町では毎年、相聞歌のコンテストをおこなっています。
平成30年の最優秀賞
「しゅわしゅわと 弾けるラムネ 盗み見る ビー玉ごしの 澄んだ横顔」
イラストは平成19年度(第1回)の最優秀作をイメージしたものです。
「人ごみに 紛れて繋いだ君の手を 離すもんかと 決めた夏の日」