天神さまは雷さま、くわばらくわばら

防府天満宮は日本で最も古い天満宮です(諸説あります)。

 

菅原道真が京を追われて失意のうちに亡くなった地に太宰府天満宮が創建されたのが919年。天神信仰の中心である京都・北野天満宮の創建は947年です。これに対して、防府天満宮は菅原道真が亡くなった翌年の904年創建です。この三つで日本三天神です。

 

防府天満宮一の鳥居
防府天満宮(Wikipediaより)

日本各地に1万2千社もある天満宮は、平安時代の政治家であり学者である菅原道真を祀っています。天満(そらみつ)は亡くなった道真に贈られた神号だそうです。

 

天満宮は天神社ともいい、菅原道真のことを天神さまともいいます。天神は雷さまのことです。

ご存知のように、菅原道真という方はとても学問の出来た方です。現在では、学問の神様として受験生の信仰を集めています。

 

ときの天皇は、外戚として権勢を振るう藤原氏の専横を抑えるために、平凡な貴族の出であった道真を抜擢することにしました。どんどん飛び級で出世していった道真は、ついには右大臣にまで昇進します。当時は太政大臣が空位でしたので、左大臣の藤原時平に次ぐ政権№2という地位です。

これを疎ましく思う藤原氏や、異例の出世を妬む他の貴族たちによって、濡れ衣を着せられた道真は大宰府に左遷されます。そして、道真は九州の地で謹慎させられ、903年に失意のうちに深い恨みを持って亡くなるわけです。

 

その後、道真は雷となって恨みを晴らそうとします。904年8月に御所紫宸殿が落雷で燃え、908年10月に参議藤原菅根が雷に打たれて亡くなります。909年4月に謀略の首謀者である藤原時平が原因不明で急死し、913年には右大臣源光が狂死します。

太宰府天満宮を創建したり、あの手この手で道真を慰めようとするのですが、930年には内裏清涼殿に落雷があり、大納言藤原清貫がこれに当たって死亡し、少将平希世は顔に酷い火傷を負います。

 

ついに北野天満宮が造られ、道真と少しでもゆかりのある地には天満宮を建立することになりました。この結果、全国に1万2千社という膨大な数になった次第です。それにしても凄い執念ですね。学問もこれくらいの執念がなければ成就しないということかも知れません。

尚、雷除けのおまじない「くわばらくわばら」は、道真の所領である和泉国桑原には雷が決して落ちないという言い伝えから生まれました。