今上陛下は来年(平成31年)4月30日に退位され、翌5月1日に皇太子殿下が新天皇に即位されることが決まっています。今日(平成30年12月23日)が最後の天皇誕生日です。
天皇の退位はご自身が考え抜かれたうえに決められたことですが、実現には紆余曲折がありました。そもそも皇室典範では、皇位継承は天皇の崩御のみでおこなわれると決められており、終身天皇制が前提であるわけです。
天皇退位には保守系の方は天皇の地位の安定性を損なうものと反対し、革新系の方は憲法に違反すると異を唱えました。
「 皇位は世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。(第2条)」
しかし、世論は今上陛下と皇后陛下のこれまでの活動や意思を尊重して、生前退位を容認する意見が多数でした。
この結果、政府が今上陛下に限る特例法を国会に提出して成立したという流れです。
皇族のなかでも天皇というものは、不自由なことが多いものです。
何しろ、国の最高法規である憲法の最初の1章を割いて書かれています。第2条は先のとおりですが、憲法第1条「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、その地位は主権の存する国民の総意に基く」もので、「内閣の助言と承認(第3条)」により「国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない(第4条)」。
これに対して、一般の国民に認められる基本的人権の多くはありません。例えば、選挙権がないですし、信教の自由も表現の自由も、移転や職業選択の自由も、国籍離脱の自由や婚姻の自由もありません。
この不自由で、何事にも受け身であるべき天皇ですが、今上天皇は災害見舞と戦没者慰霊という二つのテーマに積極的に取り組まれました。平成の新しい天皇の姿を自らつくられたものと思います。
平成の時代も多くの自然災害がありました。写真は雲仙普賢岳の噴火ですが、奥尻島の津波、阪神淡路大震災、三宅島の噴火(2000年)、中越地震、そして東日本大震災。その後も、熊本地震があり、今年は大阪府北部地震、北海道胆振東部地震。その間に、度重なる豪雨災害。
被災地に、天皇皇后両陛下がお見舞いに行かれて膝をつき、声を掛けられたことが、どれほど復興への勇気につながったかは想像に難くありません。
戦没者慰霊も、広島・長崎・沖縄など国内各地だけでなく、サイパン・パラオ・フィリピンなど南方の島も訪問されています。戦争を直接知る世代は少なくなりました。天皇の戦没者慰霊は、残る遺族を癒すだけでなく、広く国民が平和を祈念する基盤にもなったと思います。
85歳の誕生日を迎えらえた陛下が4か月余り先の退位の日を穏やかな気持ちで迎えられますように。