今年のノーベル医学生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑教授が授賞式に出発しました。
ノーベル賞の授賞式はアルフレッド・ノーベルの命日にあたる12月10日にストックホルムでおこなわれます。この1週間はノーベル・ウィークとしていろいろな行事があります。今日、本庶教授は関西空港から出発されました。授賞式には和服で出席するそうです。
日本人がノーベル医学生理学賞を受賞するのは、本庶佑氏で5人目になります。
1987年に利根川進氏が日本人として初めて受賞しました。その後半世紀を経て、2012年に山中伸弥氏、2015年に大村智氏、2016年に大隅良典氏、そして2018年の本庶佑氏です。山中伸弥教授の受賞以降、日本人のノーベル賞受賞が続いています。
ノーベル賞がアルフレッド・ノーベルの遺言によって創設されたことはよく知られています。
ノーベルは1895年11月27日にパリで遺言状を認めています。その際に、物理学・化学・医学生理学・文学・平和活動の5分野で偉大な貢献をした人物に贈るようにと書き残しました。このため、自然科学の分野でも数学や生物学、人文科学では哲学や芸術、などの功績にはノーベル賞は授与されません。
ノーベルは遺言を残した翌年、1896年12月10日にイタリアのサンレモにおいて63歳で亡くなりました。ノーベルの遺志を受けたノーベル財団が第1回のノーベル賞の授与をおこなったのは、5年後の1901年のことです。
尚、1968年からノーベル経済学賞が授与されていますが、これはスウェーデン国立銀行が創設300年記念に創設したもので、ノーベル財団はノーベル賞とは認めていません。
ノーベルは遺言で、ノーベル賞はただ業績のみで選ばれて、国籍や出身地などを一切考慮しないことを求めました。
ノーベルが遺言を認めた1895年は、明治28年です。日本では日清戦争終結後の三国干渉を受けて日露戦争への流れがつくられていく時期です。欧州では帝国主義、民族主義の非常に強かった時代でしたから、ノーベルの考えは極めて先進的で開明的です。
1901年、第1回ノーベル医学生理学賞はドイツのベーリングが血清療法の研究によって受賞しています。受賞の対象となった論文は1890年に出されています。この論文は、当時ベルリン大学のコッホの指導を受けるためにドイツに留学していた北里柴三郎との共著です。
当時はノーベル賞の共同授与という考えが浮かばなかったのでしょうが、ベーリングも北里との共同の成果と述べています。
明治期の日本に、早くも北里のような突き抜けた科学者が既に生れていたということは感動的ですし、その背景などをよく考えてみたいものです。