もう手遅れですが、11月1日は計量記念日でした。久々に計量ネタをお送りします。
さて、日本でモノの計量がルールを持って行われていたという最も古い証拠品は、大阪府の亀井遺跡から出土した一組の分銅です。通称、「弥生分銅」と呼ばれています。発掘されたのは35年くらい前のことですが、分銅と判ったのは5年前のこと。大発見として注目されました。
亀井遺跡は弥生時代の環濠集落として有名です。佐賀の吉野ケ里遺跡が大規模なことでよく知られていますが、青森県の風張遺跡など、東北から九州まで広く分布しています。もちろん、大阪など近畿地方でもたくさんあります。
この亀井遺跡で約35年前に出土した弥生時代前期末(約2400年前)の石製品11点が、国内最古のてんびん用の分銅とわかったのが2012年のことでした。計量に興味を持つ人の間ではちょっとしたニュースになりました。
それまで見つかっていた弥生時代の分銅は、中国からの輸入品で青銅製で、年代も2世紀頃の弥生後期のものだったのです。時代が500年以上さかのぼったわけです。
この石製品は「弥生の磨石」として大阪府文化財センターに保管されていたのですが、奈良文化財研究所の森本先生が形が円柱形で揃っていて全体がピカピカに磨かれていたことから分銅ではないかと再調査されました。
すると、1番小さい石製品の重さが8.7g(これは1つしかない)で、2番目に小さい石製品がほぼ2倍の17.6g(これは2つ)、次がさらにほぼ2倍の32.1g★・34.5g・35.4g(これは3つ)、次が68.9g(これも1つ)、次が134.7g☆・139.8g、最も大きいのが276.5gと280.0gでした。
基準になる1番小さい石製品が一つしかないのでちょっと微妙ですが、それぞれ約2倍となる6種類の分銅が3組以上あったということがわかります。もし、全ての組が同じ基準でつくられているとすれば、★をつけた石製品のバラツキが最も大きくて-7.8%です。また、☆が-3.2%です。それ以外は±1%の精度でおさまっています。
当時の天秤は発見されていませんが、手に持って使う竿型の天秤を使っていたのではないかと想像されています。結構、きっちりした計量の制度が確立されていたことがわかります。
さて、この天秤で何を測っていたのかといえば、このブログでお馴染みのベンガラが第一候補です。弥生の祭祀では赤いベンガラを珍重していました。この石製品の反対側の皿には、赤い酸化鉄が載っていた!のかも知れません。