昨日のブログの続きです。環境サービスへの支払いの先駆けが日本にありました。
PESと同じ考え方の制度が、230年以上さかのぼって江戸時代の日本で実際におこなわれていたというのは結構な驚きです。現在の日本社会でも、よほどの強制が無ければ成立は難しいのではないかと思います。
1784年(天明4年)に越後国頚城郡水野村の入会で木炭を生産するために森林を伐採しようという計画が持ち上がりました。
これを聞いた下流の24カ村では驚きます。森林が伐採されると雪解けが早まって、米作りのための水が確保できなくなる。山からの土砂が流出して、田畑や水路に流れ込むといったことが懸念されました。
水野村と下流24カ村は交渉を行った結果、水野村が山林の開墾と炭焼き事業をおこなわないこととして、その代償として一時金として50両(今の金銭感覚なら1500万円くらい)を支払ったうえで、毎年米4石(600kg、同じく100万円くらい)を支払うことで合意に至りました。
今のPESとほとんど同じ制度です。
時代が下って、今では国産材の需要がほとんどなくなりました。森林伐採による問題とは逆に、放棄された人工林が拡がっているという新たな課題が大きくなっています。林業を営む人も高齢化して意欲を失っており、後継者が十分にいるわけではありません。山林からの土壌の流出や、水源としての機能低下が進んでいます。
先人の知恵に学ぶことは大事です。