「歴史」という言葉は中国などでも使われますが、日本語(和製漢語)です。
よく「正しい歴史認識」という人がいますが、日本でいう”歴史”と海外の方がいう”歴史”には、かなりの違いがあります。日本は極東の島国で、これまで支配民族が変わることが一度もなかった世界で唯一の国ですから、とても特殊なのです。
日本以外の国では、支配民族が度々変わります。そのたびに、支配者によって歴史(日本人が思う歴史のこと)は書き換えられます。
中国では「正史」と言いますが、前の支配民族が残した歴史を書き換えて、新たな「正しい歴史」がつくられます。
英語はもっとあからさまで、歴史はhistoryです。物語(story)であり、歴史はフィクションです。
世界の人々の歴史観には4つあるようです。
1つは、過去の歴史を歴史としてありのままに理解する。将来のことは将来のこととしてそのまま受け入れる。日本人的な歴史観ですが、世界では少数派です。
2つは、過去において理想的な時代(国・人・生活など)があったとして、過去の歴史にこだわる。キリスト教の欧米でも、儒教の中国韓国でも完全に定着している多数派です。
3つは、未来において理想的な時代がかならずくると信じて、現実には目をつむり、過去の歴史を省みない。ある時期の共産主義国などで見られた。
4つは、いいときもあればわるいときもある。歴史は回り続ける糸車のようなものだから、過去を振り返ることも、未来を慮ることも不要だ。達観です。
このところ、中東で不穏な動きが続いています。中東諸国の方も、アメリカの方も、ヨーロッパやロシアの方もですが、日本人には到底理解できない歴史認識を根底にして動いています。日本人が、「目を覚ませ!」と揺す振ってみても、まるでダメそうです。心配です。