「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」”鉄血宰相”ビスマルクの有名な警句です。
アベノミクスの原型と言われる高橋是清の財政についてです。是清は1854年(嘉永7年)に江戸に生まれました。1892年に日本銀行に入行して1911年に日銀総裁に就任します。その後政界に転じて、1921年に思いがけず首相となりますが半年で退きます。
高橋が最も活躍するのは、1931年に犬養内閣の蔵相に就任して、いわゆる高橋財政を推進したときです。1936年に2.26事件で暗殺されるわけですが、この5年間を学びたいと思います。
<最初に言い訳ですが、あくまで専門家ではないので適当です>
高橋が蔵相として辣腕を振るうこの時期は、1929年10月のニューヨーク市場の株価大暴落に端を発した世界大恐慌で経済が沈滞していました。
この不況対策として、高橋財政は以下の5項目をおこないます。
① 景気を浮揚するために、財政出動をして需要を創出した。
② その財源を赤字公債の発行で賄った。
③ 赤字公債を日本銀行に引き受けさせた。
④ 通貨供給を増加させて低金利へ誘導した。
⑤ 円安の進行を放任して、輸出を増やした。
要するに、現在の安倍首相と黒田日銀総裁がおこなっていることを90年くらい前にそのままおこなったわけです。
この結果がどうなったかです。1931年と1936年で比較してみましょう。
GNP(国民総生産)は約133億円から193億円へと45%伸びました。国内投資は18億円から38億円(内、公共投資が9億円から15億円で、これが呼び水です)、輸出は16億円から37億円へと大幅な向上です。
雇用は、当時は失業率という統計がないのですが、雇入数-解雇数の値が、1931年は▲10万人だったものが、1936年には+16万人となっています。
この高橋財政とアベノミクスと似通っているところは、これだけ景気がよくなったのに実質賃金がこの5年間ではほとんど変わっていないことです。賃金上昇は、景気回復とタイミングを同じにしないのです。まぁ、考えてみれば雇用が増えるわけですから、安価な労働力が新たに投入されるということになります。
高橋財政で実質賃金が目立って上昇するのは、2.26事件の後1937年になってからです。
結果として、米国のニューディール政策よりも、英国などのブロック経済政策よりも、高橋財政は効果的でした。日本経済は世界各国と比較して例外的に早い回復を果たしたのです。
しかし、この政府投資が軍備拡充に向かい、国力の回復に根拠の薄い自信を持った政府や軍部の暴走を招いたのです。高橋財政の行き過ぎにブレーキを掛けようとした(結果的に軍拡のスピードを抑えようとした)是清は2.26事件で暗殺され、日本は1937年の日中戦争から、太平洋戦争へと向かうのです。 残念なことでした。
さて、アベノミクスも、どこかの時点でスピードダウンが必要です。消費増税がよいブレーキになると思います。歴史に学んで、スムーズな着地をすることができるでしょうか?