テレビのクイズバラエティーを「世界遺産」にまつわるテーマでやっているのを観ました。
大河ドラマ「西郷どん」主役の鈴木亮平さんは、世界遺産検定1級を取得しているほど世界遺産に詳しいそうです。番組のなかでも、いろいろ面白い話を紹介していました。
さて、世界遺産という仕組みができたきっかけをおさらいしておきましょう。
ときは、昭和29年(1954年)にさかのぼります。
エジプトのナセル大統領は、頻発するナイル川の氾濫を抑えて、灌漑用水を確保することを目的としてナイル川に巨大なダムを建設することを決めました。
これが、アスワン・ハイ・ダムで、現在でも世界最大級のダムです。ダム湖(ナセル湖)の容積は、琵琶湖の6倍以上です。
エジプトの経済発展には大変有意義なプロジェクトですが、古代エジプト文明の重要な遺跡であるヌビア遺跡群が水没してしまうことになります。
1959年にエジプト政府とスーダン政府は共同でユネスコにヌビア遺跡の救出を依頼します。この要請を受けて、ユネスコは加盟国にヌビア救済国際キャンペーンへの参加を要請し、これに応じた50か国によって遺跡の救出がおこなわれました。
結果として、写真のフィラエ神殿を含めて22の遺跡が移転されました。遺跡の一部は、イタリアのエジプト博物館、アメリカのメトロポリタン美術館などに寄贈されています。
このヌビア遺跡の救出をきかっけにして、ユネスコは文化遺産保護のための国際キャンペーン(ヌビア遺跡群、ボロブドゥール遺跡、ヴェネチア歴史地区、モヘンジョ・ダロ遺跡など計28件)を実施します。その後、ユネスコはICOMOS(国際記念物遺跡会議)を設置して、文化遺産保護のための国際条約の準備を開始しました。
同じ頃、米国も「世界遺産トラスト」の提唱をおこなっており、1971年のNY国連環境会議の準備会議で世界遺産条約の創設を提唱しました。
アスワンハイダムは1970年に完成し、世界遺産条約は1972年にパリでのユネスコ総会で可決され、1975年に発効されました。
ちなみに、ヌビア遺跡群は1979年に世界遺産に登録されています。