鉄人逝く 衣笠祥雄 71歳

連続試合出場2215・通算安打2543・通算本塁打504。カープの主砲でした。

 

鉄人28号
鉄人28号

幼稚園に通っていた頃、テレビで「鉄人28号」をやっていたようです。横山光輝のアニメです。

<1963~1966年>

 

テレビで見た記憶はあまり鮮明ではありません。お正月か何かで、絵本を買ってもらって、何度も眺めていたように思います。

 

この時代に広島東洋カープに異色の選手が入団して、背番号28を背負います。<1965年入団>

米軍人(アフリカ系アメリカ人だそうです)の父と日本人の母を持つ、衣笠祥雄です。風貌も変わっているうえに、野球のスタイルも独特です。打席では、どんな球でも振りにいくフルスイングです。がっちりした体躯もあって、鉄人28号と呼ばれます。

 

広島カープは1975年に初優勝するのですが、それまでずっと弱小チームだったと思っている人が多いです。しかし、これはマスコミの印象操作です。

私の小学生時代のカープは結構強かったです。

 

後に西武ライオンズ黄金期をつくる根本睦夫が監督だった1968~1972年の5年間がほぼ重なるのですが、最終順位は3位・6位・4位・4位・6位です。

シーズン途中には首位を争う年もあって、ON砲のV9<1965~1973年>ジャイアンツと、結構いい勝負をしていました。

投手陣は外木場・安仁屋・大石・白石の4本柱、衣笠・古葉・朝井・今津の内野陣は鉄壁で、外野が山内・山本浩二<1969年入団>・山本一義です。いいチームで、強かったですよ。

 

そのなかでも、一際異彩を放ったのが衣笠でしょう。当時は四番を打つことも多かったように思います。鉄人28号をみんなが応援していました。

 

衣笠は、カープ初優勝の1975年から背番号は3に変更して、カープは黄金時代を迎えます。同時に、1塁から3塁にコンバートされて、長嶋茂雄に代わって日本一の三塁手となります。

1970年から1987年にかけて連続試合出場を続けて、名実ともに鉄人となったわけです。

 

ご家族は静かに見送られたかったそうで、報道が先行して困惑されているとのこと。

19日にはテレビで野球解説の仕事をして22日までは元気だったそうです。23日の夕方にちょっと具合が悪いので寝るといわれて、寝られたまま亡くなったということです。

 

合掌