防府市には佐波川が流れています。佐波川は鯖川が語源だと聞いたことがあったのですが、どうも違うようです。
「鯖川」が転じて、佐波川になったというのは次のような経緯です。
『源平合戦で焼失した東大寺の再建に取り組んでいた東大寺勧進職の僧・重源(ちょうげん)は、畿内から作業者を連れてきて、佐波川上流で木材の切り出しをおこなった。ある日、魚を食べないと力が出ないと人々が泣きごとを言うので、重源は木片に「鯖」と書いて川に投げ込んだ。木片は、たちまちに本当の鯖となって踊ったので、爾来この川をサバ川と呼ぶようになった」というお話です。
今の防府という地名は、周防の国の国府という意味です。大化の改新で、全国に60余の国府が置かれたのですが、その一つです。
大化の改新より以前には、防府の周辺は「娑婆(さば)」と呼ばれていたそうです。日本書紀には、推古天皇の命を受けて新羅征伐に向かった来目皇子が筑紫国で亡くなったとき、周防娑婆で殯(もがり:仮埋葬のこと)したとあります。
「娑婆」という言葉のニュアンスが微妙です。「娑婆(シャバ)」は現世のことですが、対語は「浄土」ですから、苦役を積んで耐え忍ぶ場所いう意味になります。何でこんな地名だったのだろうか?と不思議でした。
ただ、仏教で言うところの「娑婆」は、”釈迦が人間に教えを説く場所”という意味もあるのだそうです。防府は古来から瀬戸内海に向けて開けた町です。瀬戸内海の開運、山陽道の陸運だけでなく、佐波川の水運もあって、周辺からの物資の移動が盛んにおこなわれました。
釈迦が説法するならば、最適な場所ですね。
防府市の観光地としては、防府天満宮が有名です。日本三天神の一つです。平安時代から幕末維新まで、多くの歴史的事件の舞台になってきました。
周防国の国府ですから、国府跡、奈良時代に建立された周防国分寺、周防国惣社である佐波神社、周防国一宮である玉祖神社も見どころです。また、時代が下るとあじさい寺で有名な阿弥陀寺、旧公爵でもあった毛利邸・毛利博物館があり、塩田跡や御船蔵跡などの江戸の産業遺産も身近に在ります。
詳しくは、以下のサイトをご覧ください。
☞ 旅々防府(たびたびほうふ) 一般社団法人 防府市観光協会