宇部市には吉部(きべ)という地区があります。旧厚狭郡吉部村です。
昨日のブログで、宇部の由来は「むべ」としましたら、じゃぁ吉部(きべ)の由来は何か?ということになりました。
旧厚狭(あさ)郡にあった吉部村は、昭和の合併で船木町と万倉(まぐら)村と一緒に楠(くすのき)町となりました。
次に平成の合併で、楠町が宇部市と合併したので現在は宇部市です。
ところで、厚狭(あさ)という地名の由来を以前このブログで書いたことがあります。厚狭の狭(さ)は砂鉄のことですね。
このブログの三年寝太郎が編んだ草鞋の藁(わら)は吉部のものだそうです。
吉部は古くから米づくりの盛んな土地柄でした。この米を治めるために万の蔵があったのが万倉で、寝太郎が佐渡島に渡るための船をつくる木を伐り出したのが船木という地名の由来ということです。(というのは、ちょっと出来過ぎで本当は違うかも知れませんね。)
さて、吉部(きべ)という地名の由来は、実はよくわかりません。岸辺(きしべ)が転じたという説もありますが、山間の川の岸辺というのはピンときません。
ただ、かつて山口県には旧阿武郡にも吉部村がありました。厚狭郡吉部村と同じように、阿武郡吉部村は昭和の合併でむつみ村になり、現在は萩市に所属しています。
さらに、現在は山陽小野田市になっている埴生にも吉部という旧地名があるそうです。
そこで、この三つの吉部(萩市・宇部市・山陽小野田市)を結ぶと、ちょうど一直線に並ぶのだそうです。吉部という地名は中世以前から続くようですから、興味深いです。周防と長門の国境とは合致しないのですが、地域を分ける何かの意味があったのかも知れないと聞きました。
詳しい人がいたら、教えてもらいたいところですね。