「PDCAクルクル教」が日本をダメにしたんだって?

YAHOOのトップページに日経BizGateからの転載としてあったものです。少し解説します。

 

著者は公認会計士の方らしいのですが、何故だか、とても過激な書き様です。

とりあえず、URLをリンクしておきます。

☞ 「PDCAクルクル教」だから変化に弱い日本企業 

副見出しは

「日本人の計画好きのルーツはPDCAにあり」「日本企業の抱える新・3つの過剰」「すべてを計画することは不可能である」の3つです。

 

「日本人の計画好きのルーツはPDCAにあり」ですが、”日本人が計画好き”という前提が先ず分かり難いですね。また、ルーツとされるPDCAですが、日本で発明されたものでなく、戦後にアメリカから日本へと持ち込まれたものです。アメリカは第二次大戦で壊滅していた日本の工業力を復興させたいと考えていました。そこで、有名なE・デミング博士にPDCAサイクルを日本の経営者に教えさせました。日本ではPDCAのことを”デミング・サイクル”とも言います。

 

著者は”無理な計画(P)を立て、その達成に向けた行動(D)を詳細に管理することが「ウソツキ」や「受身体質」を増やす危険がある”と言っています。理論的に成立していないので、コメントし難いのですが、確かに計画通りに仕事が進まなかったのに、ウソをついて、できたように取り繕うことはしてはいけないですね。これは倫理の問題です。

 

「日本企業の抱える新・3つの過剰」ですが、3つは”計画・管理・情報”の過剰だそうです。著者は、この3つが組織の柔軟性を蝕み、個人の自主性を奪っていく深刻な病だと言われています。情報がリアルタイムに入手できるようになったので、チェック(C)を頻繁におこなえるようになった。これによって目先の細かい対策(A)が取られるようになったという批判のようです。しかし、正確な情報がタイムリーに入手できれば、より「正直」に「能動的」に仕事に取り組むと思います。悪いことではありません。

 

「すべてを計画することは不可能である」は、まぁその通りです。但し、”先が見えないビジネスでは計画を何度も変更しなければならない”ことをネガティブに捉えるのは間違いです。計画というのは永久不変なものではなく、何度も見直して変更するものです。

 

著者は”「想定できない変化」にどう対応すればいいかを考えるーここにPDCAを超える新たな経営企画の道筋があります。”で、文を締めくくっています。

ここに最大の問題があって、「想定できない変化」は無いのです。堀江貴文さんの「想定外」という言葉が流行語になったことがありました。東日本大震災の津波や福島原発のメルトダウンなどは当時は「想定外」とも思われました。しかし、その後の検証で「想定できた」ことが明らかになっています。大震災も地球温暖化も、取引先の破たんもテロや戦争も「想定できる変化」です。

先のことは分からないから、計画は不要だ!という経営は危険ですよね。また、「想定できる変化」であれば計画は有効ですから、想定しましょう。

  

PDCAサイクル
PDCAサイクル

YAHOOでは、この記事の下に、関連記事として「「PDCAですべてを解決できる」は大きな幻想だ」というのが出てきます。

誰がそんな幻想を抱いているのかはともかく、”PDCAには「ラストプロブレム」の検証要素がない”という解説です。

 

こうなると、PDCAそのものに誤解があります。

多くの会社では経営マネジメントシステムを構築していますが、いきなりPDCAが始まるわけではありません。その前段に「方針・目的・目標」を設定するというプロセスがあります。

どの山に登るのかを決めないで、登山計画を立てても遭難します。と言うか、そんなことをする人はいないでしょう。

 

1950年にデミング博士が日本にPDCAの考え方を伝えて70年近くが経ちました。現在のISO9001につながる「品質マネジメントシステム」の規格がアメリカでつくられたのも1959年です。PDCAの考え方は、イギリスやフランスを経由して世界に広がっています。決して、日本だけに「PDCAクルクル教」があるわけではありません。

もし、現在の日本でPDCAを誤解する人が増えているとすれば、原点に戻って、学びなおすことが必要なんだろうと思います。