レジ袋問題・東京都がオリンピックまでに有償化

報道発表されたのは昨年12月のことですが、ちょっと話題になったのでコメントします。

 

山口県では全ての自治体でレジ袋削減の取り組みがされています。私の家の近くのスーパーでもレジ袋は有料です。クリーニング店の袋も有料だそうです。コンビニは無料です。

全国の都道府県でもレジ袋の有償化への取り組みは濃淡があります。取り組みに積極的で全市町村で実施(100%)しているのは、山口県・滋賀県・和歌山県・大分県の4県です。一方で実施率が20%未満なのは、青森県・奈良県・愛媛県・高知県・鹿児島県・沖縄県の6県です。地域性はあまり無いようですから、施政の方針によるものでしょうか。

 

さて、「東京都がレジ袋の有償化を実施して、プラスチックの使用量やごみを減らし、資源循環型社会の実現を目指す。2020年の東京オリンピック・パラリンピックに向け、環境先進都市・東京を世界にアピールする狙いだ。」という報道です。

 

これに反対する意見としては、レジ袋はゴミ袋として使われるからいいではないか。外国人観光客が困るじゃないか。コンビニやホームセンターは有償にならないのではないか。レジ袋が減っても全体のゴミの量からすれば知れたものではないか。といったところでしょうか。

これらの意見は概ね当たっています。

 

実は日本ではレジ袋問題の本質が忘れられてきているのです。

先ず、資源の無駄遣いという点ではレジ袋は既に大きな問題にはなっていません。東京都の調査でも無償であってもレジ袋を「いつももらう」という人は10%を下回っています。学生ですら25%を下回っていて、必要が無ければレジ袋を辞退することは文化として定着しています。また、もらったレジ袋の70%はゴミ袋として再利用されています。

ここでの誤解は、「レジ袋が無償(タダ)でもらえるなら、減らそうというインセンティブが働かないので資源の無駄が増える一方だ」という思い込みにあります。日本の場合では、環境保全に貢献したいという意識だけで、十分にレジ袋削減のインセンティブ足り得るのです。

 

レジ袋の有償化の起源は1989年のイタリアです。但し、この施策は資源のムダを減らすことを目的としたのではなく、野生生物の保護が目的でした。つまり、自然には分解せず、薄くて飛散しやすいレジ袋は、海に飛来すると海洋生物(クジラなど)が誤って摂取して死んでしまう事例がありました。レジ袋は野生生物にとって危険なものだということです。

この野生生物の保護は、現在でも(日本でも)レジ袋削減の大きな目的です。

 

更に、現在の日本ではあまり当てはまらないのですが、海外(特に途上国)のレジ袋の一部には安定剤や着色剤として有害物が使われているケースがあります。野外に捨てられたレジ袋に水が溜まって蚊の発生源になることもあります。捨てられたレジ袋が排水溝に詰まって、大雨のときに水を溢れさせるようなこともあります。また、無造作に捨てられたレジ袋は風に舞って、簡単には取り除けないところに引っかかったりして景観を悪化させます。

これらは、昭和の日本では現実に起こっていたことです。

 

まとめると、レジ袋の削減は世界的な潮流になっています。レジ袋の有償化(有料化)も世界的な潮流です。したがって、環境先進都市である東京でも有償化は受け入れられるでしょう。

但し、レジ袋削減の目的は資源のムダ削減だけではありません。更に、現在の東京(日本)では既にレジ袋の辞退は文化として根付いてきていて、有償化による効果は限定的です。

 

「おもてなし」の心は、単に丁寧な接遇という意味だけでなく、善い行いの実践という意味もあります。有償化というルールや規則で縛る必要は、東京ではもう無いだろうという判断もあっていいとは思います。タダでも辞退するほうが”COOL!”ですよね。