二宮金次郎と言えば小学校の校庭にある「薪を背負って本を読む」姿の銅像が有名でした。
戦後の復興期までは人気の高かった二宮金次郎さんですが、どうも現在では批判的に思われているそうです。
「歩きスマホ」を助長するから銅像を撤去するという都市伝説すらあります。
ちなみに金次郎少年が手にしている本は、中国の古典「大学」ですから、手に持って読むような本ではありません。金次郎は薪取りの行き返りの人気のない道で、きっかけになるところを本で確認しては大きな声で暗誦していたのです。
金次郎少年は十四歳で父親に十六歳で母親に先立たれて、幼い弟妹を養いながら貧乏に耐えていたので、新しい本を買うことはできません。
当時は百姓に学問は要らないという時代ですから、「大学」や「論語」など数冊の本を繰り返し読むしかありませんでした。現代の「歩きスマホ」と同列にするのはちょっとおかしいですね。
金次郎批判には、それ以外にも、児童虐待や児童労働を容認することになる。子供に理不尽な暴力に耐えながら自分の力で努力することを強いてはいけない。というものがあります。
学校教育で二宮金次郎を取り上げるのはダメだという主張です。教育勅語を学ぶのはいけないというのと似たような話ですが、時代が違うのですから過去から学ぶことをまるで拒否することもないように思います。
聖書(結構、残虐ですよね)を読むのを許さないという人はあまり聞かないですし・・。
それは、さて置いて、二宮金次郎が江戸時代後半の日本で卓越した功績を残したことは事実です。貧乏のなかから、積小為大を旨としてコツコツと働き、工夫を重ねて利益を出して、荒地を開き、田畑を入手して着実に富農となっていきました。
ただ儲けを積むだけでなく、自らの資金で村の土手堤に松の苗を植えて洪水に備えたり、不作のときの備えをしたりもします。
その経営手腕を見込まれて百姓でありながら小田原藩士となって農村再興に功績を上げ、最後には幕臣となって働きました。
二宮金次郎の経営の基本は「分度」というものです。この方法は現在の中小企業の経営再建でも全く同様に使える手法です。ごく簡単に説明します。
まず、過去10年間の経営成績を可能な限り調べあげます。そうすると、売上高の大きい年も小さい年も、経費の多い年も少ない年もあります。次に、それらを平均したり、トレンドを見込んだりして、確実に達成できる粗利益額を決定します。これが「分度」です。
「入るを測りて、出るを制する」ですから、経費は「分度内」に限定して決定します。
決まったら「分度」は10年間変えません。
例えば、1億円の粗利益を分度として、経費は9千万円とすると決めたなら、そのまま10年間続けます。仮に1億2千万円の粗利益が出ても経費は9千万円のままで、賞与で報いるとかしません。つまり、分度外の余剰金が出ても、これに手を付けて経費を上げてはいけません。
このルールの下で、10年間生産性改善に取り組むと、10年後には年間の粗利益額が2億円まで増え、余剰金の積立合計も2億円を超えるようなことが達成されます。
これが二宮金次郎がおこなった桜町仕法(報徳仕法)と言われる手法です。
私の古巣の会社は1970年代に経営的に苦しい時期があったので、私が新入社員だったころの経営陣には報徳仕法の信奉者がいました。現代ではあまり流行りませんが、二宮金次郎に学ぶことは多いのではないかと思います。