人の仕事の量は時間では決まらないですし、疲労の量も時間との関連は不完全です。
昨日の続きです。
労働時間の上限規制ですが、基本的には要らないと思います。
法律で上限を決めるというのは、日本人には馴染まないのではないでしょうか?今、言われているように経営者が上限までは労働者を働かせて構わないと、過剰な労働を強制するということもあるでしょう。
しかし、一方で、労働者側がその上限まで働きたいとか、働かせろということもあります。
経営側の都合で、繁忙期に月最大100時間、年間720時間も残業させるのか。それでは過労死するじゃないか!というのが、主な論調です。
これは、全く正しい話です。本当に一カ月100時間の超過労働をするのはムリですし、ムチャです。あり得ないし、マジで死んじゃいます。100時間の残業が可能なのは、それ相応の息抜きができているからだと思います。
経営側(特に労務管理が徹底できない中堅企業など)では、従業員が年間720時間の残業を権利とするほうが心配です。
現在の36条協定がザル法なのは確かですが、従業員が数十人規模で労組があるような老舗製造業では、労使協定で月に30時間を上限にすると決めると、きっちり30時間の残業までをつけて、月末の繁忙期はお先に失礼!という剛の者が必ず出てきます。残業は上司の指示がないと認めないのが普通ですが、なんとなくズルズルと許してしまうのです。
日本の制度は勤務時間というか会社に滞在している時間で給料が決まります。しかも残業や休日勤務の割り増しは大きいので、残業代が貴重な生活給になっている実態があります。(昔は、生活費でなく遊興費になっているケースも多かったようです。)共働きの男性の育児参加を阻害するのは、これが原因の一つです。長く会社にとどまる方が家庭にとって有利だからです。
一方で、製造業のライン職などを除くと、就業規制はルーズです。最近はオフィスが禁煙になったので、喫煙所に休憩に出掛ける人も増えました。コーヒーなどが飲める休憩コーナーを設ける会社も多いです。しかし、リフレッシュして生産性が上がるのは20%の人だけです。80%は単なる時間の浪費になります。
つまり、労働時間の上限という議論のなかでは、勤務時間中の「働き方改革」も必要です。キビキビ、テキパキ働いて、勤務時間内に仕事を終える人のほうが、所得が少なくなるという給与制度を改めることだと思います。
労働行政のほうでも、実態を把握して、現実的な支援をしてもらいたいものです。