このところ、下関市によく行くので壇ノ浦のモニュメントの前を通ります。
国道2号線沿いの「みもすそ川公園」にあるお馴染みのモニュメントです。
手前は源義経が「八艘飛び」で船から船へと乗り移っている姿です。奥側が負けを悟った平知盛が錨を担いで海に身を投げる姿を描いています。
ちょうど、関門橋の下は「早鞆の瀬戸」と呼ばれる関門海峡のうちで最も幅が狭くて、流れが急なところです。
元暦2年(1185年)3月23日、義経が率いる源氏の水軍840艘は壇ノ浦の東「満珠島」に到着します。平知盛を総大将にした平家軍は「彦島」に結集して、500余艘でこれを迎え撃ちます。3月24日朝に戦いは始まり、その日のうちに勝敗は決します。関門海峡の早い潮の流れが源氏に有利に働いたと言われています。
実際は、平家軍に参加していた武将・田口盛良の寝返りとか、松浦水軍の戦線離脱など、内部の裏切りによって敗北に至ったようです。「真田丸」の豊臣・徳川の戦いでも、勝敗の帰趨を決めるのは裏切りですね。
総大将の知盛に続いて、経盛や教盛など一門の武将も海に身を投げ、ついには二位尼に抱かれた安徳幼帝も関門の泡となりました。ここに名門平家は束の間の栄光の幕を閉じて、海の藻屑となったわけです。
二位尼の辞世「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」
佳子さま 初めての単独地方公務で山口県に・・安徳天皇陵を参拝