西鶴は犬公方:綱吉の政策に寛容だった

井原西鶴は1642年生れ(1693年没)で、徳川綱吉は1646年生れ(1709年没)です。

 

ほぼ同じ時期を生きていますね。1646年はもちろん戌年(いぬどし)です。

綱吉は犬公方と呼ばれています。「生類憐みの令」で知られる、お犬様を人間より大切にするという天下の悪法を強要した将軍と思われています。

 

西鶴の著作にも、お犬様に関する記述はたくさんあります。江戸の町に野良犬を収容するために巨大な施設をつくって、大金を浪費したことなどを皮肉して書いています。ただ、全般には批判的ではなく寛容な書き方です。

 

綱吉が最初の街触れを出したのは1685年です。西鶴が本格的に浮世草子作家として活躍をしていた時期です。将軍様の政策を強く非難したりすると流行作家である自分の地位が危ういということもあったでしょう。しかし、西鶴は綱吉の政策を本気で支持していたのかも知れません。

 

それは、「生類憐みの令」というのが後世に少し誤って伝わっていることがあります。綱吉は、生類、つまり文字通り生き物全てについて憐れむことを通達しています。決して、犬だけを特別扱いしているわけではありません。

犬を棄てることを禁じて、江戸は中野や大久保に野良犬を10万匹も収容する施設を設けたことは知られています。しかし、犬だけでなく猫も同様に保護しています。牛や馬も病気になったとか年を取ったからといって捨てることを禁じています。

 

魚や鳥も食用にする以外で捕獲して殺すことは禁じています。漁師や猟師以外が勝手に取ったりしないように規制しています。

ペットとして小動物や小鳥を飼うことや売買も原則として禁止しています。これは、現在の動物愛護の精神と同じです。

猪や熊などの害獣を駆除する場合も、漁師以外がすることは禁止しており、更に残虐な方法で殺さないように命じています。

尚、これらの命令は、庶民だけでなく、将軍家を含む大名の鷹狩りも廃止しました。

 

さらに、生類には人間も含まれています。捨て子することは禁止され、捨て子が見つかったら養育しました。旅行中に病気になったり怪我をした者は保護され、囚人の待遇改善もおこないました。

綱吉は、中世の時代にあって、とても先進的なリーダーだったのかも知れません。