宇部市は宝くじの高額当選がよく出ることで有名です。今年のサマージャンボで、1等・前後賞合わせて7億円が出ました。
宇部市にも複数の宝くじ売り場がありますが、高額当選が出ると評判なのは、宇部市唯一のデパート:井筒屋の横にある宇部琴芝チャンスセンターです。
今回もこの売り場から1等が出ました。
この売り場では、2009年・2010年・2011年の3年連続で年末ジャンボの1等が出たことで、「奇跡の売り場」として、一躍有名になりました。
その後も、ジャンボ宝くじの発売中は、長い列が途切れることなく続いています。しかし、1等がそんなに続くはずもなくて、今回は2012年のドリームジャンボの当選以来4年ぶりになります。奇跡も色あせてきていた感があったなかでの、サマージャンボ7億円ですから、宇部の宝くじブームが再燃していきそうです。
ちなみに、ジャンボ宝くじは、年間5回発売されます。
2月に「グリーン」、5月に「ドリーム」、7月に「サマー」、9月に「オータム」、11月に「年末」です。
なぜ、宇部チャンスセンターがジャンボ宝くじに強いのかと言うと、恐らくは多くの人がくじを買い求めているからです。確率的に、どこの売り場で買えば当たるということはないのは自明です。それでも、せっかく夢を買うなら「奇跡の売り場」がお奨めです。
宝くじの起源には諸説あるのですが、紀元前206年の前漢の軍師・張良に遡るというのが有力なようです。
張良が生れたのは秦の始皇帝の時代です。太公望の兵法を学んだ張良は、秦に反旗を翻した劉邦の軍師となり、秦の都・咸陽を落とします。その後、劉邦は項羽によって西に追い落とされますが、最後には項羽を討ち取って漢(前漢)を起こします。
張良は、軍師として常に劉邦のそばにあり最高の知略の臣であったとされます。また、劉邦と張良の関係は、君臣関係の理想とされています。
漢は天下統一を果たしたのですが、北の異民族の襲来に備える必要がありました。このため、始皇帝が構築を始めた長城「万里の長城」の延長や拡大をしなければなりません。
これには、多額の資金が必要になるのですが、そこで張良が考えついたのが「宝くじ」なのだそうです。
ちなみに、張良以外の起源としては、ローマ帝国の皇帝カエサルが、建設費調達に宝くじを利用したのが最初という説もあります。この場合は紀元前50年頃のことになります。
いずれにしても、洋の東西を問わないで、2000年以上前から「宝くじ」は政府の財源として使われていたということです。
ついでですが、日本で最初の「宝くじ」は、箕面山瀧安寺のくじ(1575年)と言われています。しかし、文献が残っていないだけで、実際は天智天皇が宝くじを近江宮建設の財源に使っていたのかも知れません。・・そんなわけないか?
(飛鳥時代、近江朝の頃に日本で最初の貨幣・無文銀銭が使われました。)