日本永代蔵より(26)・・・銀の生る木は門口の柊

日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第二十六回。

 

”越前に隠れなき年越屋” (福井で有名な年越屋)

・・・何故か、ここから副題が簡単(一条)になります。


中国で共産党の幹部が集まって住んでいるエリアは、高さ6mの赤い壁に覆われた、7㎞四方もある広大な敷地だそうです。その中南海で眺める千草万木も、我が家の2m四方の空きスペースに植えた一本の柊(ひいらぎ)の木も、楽しむ心に変わりはありません。

 

福井県の大湊に、「年越屋」という裕福な商店がありました。代々、味噌・醤油の製造をおこなっていて、最初は小さな店でしたが、少しづつ繁盛するようになりました。

その繁盛のきっかけは、みんなが驚くような戦略でした。

 

味噌は普通ならプラスチックの使い捨て容器に入れて販売します。しかし、この容器代が結構馬鹿になりませんし、何より貧相です。そこで、年越屋は味噌をタダでいくらでも手に入る「蓮の葉」に包んで販売することにしたのです。

古来から、蓮の葉に味噌を包むと味もよくなると知られていましたし、何より特別感がでます。そして、容器コストも下がりました。結果として、コストは下がり、プライスは上がったのですが、年越屋の名前は有名になって、収益も向上していきました。

 

年越屋は、隣地を広く買い上げて、広大な庭をつくります。庭に植えた木は全てが実のなるもので、生け垣は漢方薬の原料になるクコやリコギ、花を楽しむには豆類を選んで、空いたスペースにはタデなど香辛料になるものを植えました。なに一つムダはありません。

昔植えた、柊はいつの間にか大きく育って、年越屋のシンボルツリーになりました。その柊さえ、節分に門口に挿すまじないに、一枝10円で販売するという抜け目なさです。

それでも、本店の作業スペースだけは拡張はしたものの、昔の粗末な建物のままでした。

 

こうして年越屋が蓄えた資金は40億円を超えました。

そんなとき跡継ぎの息子に、どこをとっても好都合なお嫁さんが見つかりました。息子は母親と仲人と内密に相談して、パリの高級ブティックの洋服・京都西陣の最高級の着物・当たり年のボルドーのワイン樽などなど豪華な結納品を送りました。

こんなことは、父親には言えませんから、角樽に一対鯛の尾頭付きに、結納金30万円を送ると偽りました。これでも、質素倹約で過ごしてきた年越屋では、はじめての贅沢です。

 

主人は60歳になり、息子夫婦に跡を譲ります。息子は、早速、豪華な本店の建設に着手します。主人は反対するのですが、息子は大手の取引先や政治家などの意見を聞き入れて、親を説得します。数多の名工を手配して完成した建物は、福井県随一のものになりました。毎日、人を雇って磨き上げる床に、華麗な天井絵。まるで美術館のようです。

 

ところが、こんな豪華な店に味噌や醤油の商売は見合いません。何だか、昔より味も悪くなったような気がします。そして、いつの間にか、売れ行きは鈍っていきました。

売れ残った味噌を棄てるのはお金がかかります。塩分が高いので、飼料や肥料などには使えないからです。余った醤油も川に流すわけにはいきません。仕方ないので、安売りをすると損失が増えます。昔以上の味の商品をつくって再販売しましたが、一度立った悪評は覆りません。

 

息子は、資金を頼みに、別の事業に投資をしてみましたが、経験の乏しい事業が成功できるはずもなく、年々資金は減っていきます。

結局は、豪華な本店だけが残ることになりました。この本店が、僅か5000万円ほどで売却できたときに、息子は「よいときに本店を建てていたから、売れて金が残った」と妙な自慢をします。親が40年を掛けて築いた資産を、息子が6年で全部失くしてしまいました。

 

資金は儲けるのは難しいのですが、失うのは簡単です。「朝夕の算盤を油断することなかれ」と言います。

商売で、店構えは重要です。趣味や装飾品を取り扱う店は、商品陳列を手広くするのがよく、食品店やリサイクルショップなどは、ちょっとだらしない感じのほうが入りやすいものです。とにかく、繁盛している商店は、むやみに改装してイメージを変えてはいけないと、儲かっている経営者は言います。

 

年越屋の息子は、改めて小さな商売を始めました。豪華な結納を送った妻には離婚されて、一人の小商いです。少しは利益も出るようになってから、浜辺の町の気立ての好い女を後妻に迎えることになりました。結納の品は、角樽に一対鯛の尾頭付きに、結納金10万円。父親を騙した偽りの結納も、誂えるのがやっとというのは、感慨無量です。