石原慎太郎元東京都知事が「中国というのはね、君!。広島や山口のことを言うんだよ!」って・・
シナ(支那)という言葉に本来は悪い意味は無いとは思うのですが、相手が気に入らないというのであれば、敢えて使う必要はありませんね。
今、問題になっている「南シナ海」は、英語表記で「South China Sea」です。中国では単に「南海」と言うそうですが、 どこの南にある海なのか分からないので国際的には使えないですね。韓国の方の「日本海」を「東海」に変えろと言う主張も少し無理があります。
だからと言って、「南シナ海」を「南中国海」に名前を変えると、中国の南シナ海侵略を認めることになりそうです。まぁ、三国志の時代から南シナ海は中国のものだったという凄い話をされているのですが、中国の方は最初は三百代言であっても、疑いなく本気でそう思ってしまわれます。なかなか難しいです。
さて、本題は「中国」です。
この中国は、大和朝廷から続く律令制の国制度に起源があります。平安時代、908年の延喜式によれば、日本は陸奥国から薩摩国まで68の国に分けられています。ちなみに北海道(蝦夷)と沖縄(琉球)は朝廷の影響が及んでいなかったので、含まれていません。
この68の国を何かの都合で分類することがあったようです。都からの距離で4つに分けたときに「畿内」「近国」「中国」「遠国」という分け方がありました。
「畿内」は今の京都府・奈良県・大阪府にあたる5か国。
「近国」は東は愛知県(三河)・福井県南部(若狭)、西は岡山県東部(備中)・鳥取県東部(因幡)までの17か国。
「中国」は東は静岡県(駿河・伊豆)・山梨県(甲斐)・富山県(越中)、西は広島県東部(備後)・島根県中部(出雲)・香川県(讃岐)までの16か国。
「遠国」は神奈川県・新潟県より東、広島県西部・高知県より西の30か国。
つまり、この時点では「中国」は東日本にもありました。
また、今の中国地方の「中国」も、山陽道は備中・備後の2か国・山陰道は伯耆・出雲の2か国。なので、とても狭いです。
室町時代になって、1349年に足利幕府が今の広島県福山市(備後国・鞆)に「中国探題」を設けて山陽・山陰の統治を管轄するようになりました。初代の中国探題は足利尊氏の子・直冬です。このときに「中国」として管轄する範囲が、上の4か国に安芸・周防・長門・因幡を加えた8か国になりました。
この時点で、「中国」は岡山県西部・鳥取県から山口県と、ほぼ現在の中国地方と同じ範囲になりました。(岡山県東部の備前・美作と島根県の隠岐・石見が管轄外。)
つまり「中国地方」というのは、「都から中くらいに離れた地方」ということです。