誰でも、ホテルに泊まったときには、暇に任せて聖書を眺めることはよくあります。
日本国際ギデオン協会が配布している新約聖書からの引用です。
聖書そのものは、読み物としてもよくできています。翻訳や日本語の口語訳が巧みということもあるのかも知れません。落ち着いて読むと、意外に面白いです。
ちょっと不謹慎ですが、「そんなアホな!?」というような突っ込みどころもあります。
新約聖書の巻頭は「マタイによる福音書=マタイ伝」からはじまります。
第一章はメシアの系図で、処女受胎でイエスが誕生するまでが書かれています。
何故、父親ヨセフが関与しないで母親マリアだけから子イエスが誕生するのか?という、疑問がいきなり浮かびます。逆に言えば、このあり得ないシチュエーションから始まるのが、格調を高めているとも言えます。
さて、第5章が有名な「山上の垂訓」です。
イエスは弟子に次のように教えます。
次のような人は幸いである。つまり、このような人になりなさい。ということです。
1.心の貧しい人 (謙虚な人)
2.悲しむ人
3.柔和な人
4.義に飢え乾く人
5.憐れみ深い人
6.心の清い人
7.平和を実現する人
8.義のために迫害される人 (イエスのために、ののしられ悪口を浴びせられる人)
次にイエスは、弟子たちに「地の塩」「世の光」になりなさい。と言います。
そして、イエスは弟子たちに禁止事項を伝えます。
1.殺人
2.姦淫
3.離婚
4.誓い (誓うのではなく、実行せよ)
5.復讐
まぁ、この禁止事項を守ることはそんなに難しくない。と思うかも知れません。
でも。心の中で思うことも禁止されています。心に「あいつは懲らしめてやりたい」とか「あいつはなんてバカなんだ」と思うだけで、同じ罪があるということです。
例えば、姦淫の禁止では、「みだらな思いで他人の妻を見るものはだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」・・「右目があなたをつまずかせるなら、えぐり出しなさい」・・「右手があなたをつまずかせるなら、切り取って捨ててしまいなさい」と続きます。
この章の最後は、隣人愛を説いています。
「隣人を愛し、敵を愛し、自分を迫害するものを愛しなさい。」 自分を愛してくれる人だけを愛しても、あなたには報いはない。と断言しています。
いろいろと、ごもっともではあるのですが、心の中まで覗かれると、ちょっと辛いです。
まぁ、ここまで聖人君子とはなれないですが、これらの教えを人生の目標として、精進することは大事だと思います。ときどき、聖書も眺めてみましょう。