日曜連載は、井原西鶴の「日本永代蔵:現代版アレンジ」です。第十九回。
”越前に隠れなき市立 身は燃え杭の小釜の下”
(福井で知らない者がいないコーヒー店。偽りの商売で失脚してしまった。)
福井県の敦賀港は荷物取扱高が増加しており、1日の港湾使用料収入も膨大です。このところ、関西圏の経済が活況です。東北や北海道だけでなく、中国やロシアからの物資が敦賀港を経由して、阪神地域に運ばれています。
物量はどんどん増えていて、港にはプレハブの仮設事務所に商社の出張所が出来ています。まるで大都市の繁華街の様相です。また、福井県ではもともと働く女性がたくさんいて、そのうえ美しい人も多いので、まさに北国の都のような賑わいです。
繁盛する町には、いろいろな人が集まってきます。しゃれた劇場ができて、有名俳優が街を歩いているのも珍しくなくなりました。
一方で、スリや置き引きなど、物騒な人もやってきます。但し、町中に注意は行き届いているうえに、福井県の人は元来堅実なので、スリの商売には好い場所ではなさそうです。
さて、敦賀の町の郊外に、小橋利助という若い独身男性が住んでいました。
町がどんどん賑やかになっているのを見て、コーヒーの移動販売を思いつきました。借金で購入した軽自動車を飾り立て、道具一式を載せて、毎朝早くに敦賀港で店を開きました。できるだけ目立とうと、派手な蝶ネクタイにチョッキを着て、高級喫茶店のマスターのような恰好で客引きしました。
この面白い趣向に惹かれて、多くの固定客がつきました。1杯400円のコーヒーは、移動販売にしては少々高いのですが、港や町の景気のよさにも後押しされて、飛ぶように売れました。
ほんの2年ほどで、自動車や道具を揃えるために借金を完済できました。そこで、敦賀の街に良質なコーヒー豆を取り扱う店を構えました。利助は何年も一生懸命に働き、コーヒー通の間での評判も上々で、店は大きくなり従業員も増えていきました。
この頃の利助は、金持ちのうえに働き者で愉快な男なので、たくさん縁談が舞い込むようになりました。しかし、利助は「3億円貯めるまでは結婚しない。40歳までなら遅くない。」と心に誓って、もっと仕事に打ち込みました。
そのうち、利助には通帳に増える金額が生きがいになってきて、だんだんに心が荒んでいきます。ついには、コーヒー豆の産地偽装に手をつけてしまいました。すると、儲けは一気に拡大します。
この秘密は、完全に守られていたのですが、どんどん貯まっていく利益をみるうちに、利助の心のほうが乱れていきます。
あるとき、利助は急に精神に異常を来して、「コーヒー偽装!コーヒー偽装!」と自分から口走るようになりました。入院を余儀なくされますが、食事も摂れず、夜も眠れないので、いよいよ肉体の方にも衰えが進んで、医者も見放すしかありません。
利助は「最期にコーヒーを一杯」と注文をしましたが、もう喉にも通りません。
枕元に、3億円にほとんど足りている預金通帳を置いては、「この金は誰のものになるのか?あぁ悲しい!あぁ悲しい!」と泣き狂っています。もう病院には誰もやってきません。
利助の最期は医師だけが看取って、僅かな縁者だけで、寂しいお葬式がおこなわれました。
利助の遺産を配分するために、遠い親戚に連絡はしてみたものの、狂い死にした者の金を欲しいというものがおりません。繁盛していたコーヒー店も評判を落とした後では、営業もままなりません。
縁者たちは相談して、資産を整理して金に換え、利助をともらう菩提寺に全額を寄進することにしました。せめてもの供養です。
ところが、ありがたく寄進を受けた菩提寺の住職一家は、望外に大きなお金が入ったもので大喜びです。利助の菩提はそっちのけで、遊興費に流用して楽しい日々を送っていました。
これでは、利助は浮かばれません。
ある頃から、深夜になると、コーヒーを売り始めたときの洒落たマスターの装いの利助が、住職一家のところを訪れるようになりました。幽霊に毎夜コーヒーを売りに来られては、住職一家の精神もおかしくなっていきます。
ほどなく、利助の幽霊のことは多くの人に知られるようになりました。この菩提寺は化け物寺と呼ばれるようになり、あっという間に荒れ果てて、崩れるようになくなったそうです。
さて、利助のことを考えてみると、利益を得るために、粗悪なものを売る・偽りの契約を結ぶ・騙して資金を集める・破産を偽装する・投機に手を染める・山師・押し売り・美人局などなど、人の道に反する仕事をしてはなりません。そんなことをすれば、人生を全うすることなどできないものと心得ましょう。
悪事が身に着くと、悪事そのものが見えなくなるものです。金銭欲こそは人間性を破壊します。100年生きる人は多くありません。しょせん、人生は夢のようにはかないものです。
誰も悪事を働くほどの金銭欲を持たなくても、十分に生きてゆけます。