大板山たたら製鉄遺跡

たたら製鉄遺跡は、中国山地沿いの広島県・島根県・岡山県と鳥取県の西部に多いのですが、山口県にもあります。明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録されました。

 

実は、山口県に”たたら製鉄”遺跡があるとは知りませんでした。

たたら製鉄というのは、日本古来の製鉄法で千年以上の歴史があります。「たたら」とは足で踏む”ふいご”のことです。”ふいご”は、空気を送りだす器具で、製鉄の火力を強めるのに使います。

宮崎駿さんの「千と千尋の神隠し」で、女たちがふいごを踏んで鉄をつくっているシーンが印象的でしたが、あれが”たたら製鉄”です。

 

日本で最古の製鉄遺跡としては、弥生時代後期の3世紀、広島県三原市の小丸遺跡などが知られています。その後、中国山地は、良質な鉄の産地でありましたから”たたら遺跡”が集まっています。

10世紀ころからは、少しづつ大規模なたたら製鉄がおこなわれるようになっていきます。足踏み式ふいごは室町時代後期には使われていたようです。

17世紀末の元禄時代には、「千と千尋の・・」に出てくる天秤式のふいごが使われるようになってきます。但し、この頃の製鉄は鉄の産地を巡って臨時的におこなわれていたようです。

 

世界遺産に登録された「大板山たたら製鉄遺跡」は、萩市の旧福栄村にあります。開業は18世紀の中頃、1751年で宝暦年間です。この遺跡では、「高殿」とよばれる建物をつくって長期間継続して製鉄をおこなっています。「永代たたら」と呼ばれるものですが、一箇所に落ち着いて生産することで、品質や生産性が飛躍的に向上したと言われます。

 

砂鉄や鉄鉱石などの製鉄原料が無い萩市の福栄村に「永代たたら」ができたのは、燃料である木材が豊富だったからです。つまり、この時代になると鉄の大量生産が必要になったので、鉄資源をもとめて”たたら”をつくるのではなく、燃料が豊富な場所に鉄原料のほうを運んで製造するようになったのです。

 

「大板山たたら製鉄遺跡」は幕末から明治初期に最盛期を迎えます。維新に向けての大きなうねりのなかで、鉄の需要は伸びていきました。黒船来航などで脅威を感じた萩藩は海防を強化する必要性を強く感じていました。大板山で1863年(文久3年)以降につくられた鉄は、そのすべてを萩藩が買い上げていたという記録があります。

 

萩藩は更に製鉄生産量を増やすために、洋式製鉄を導入することを計画します。

その遺構が、同じく世界遺産に登録された「萩反射炉」です。この反射炉では実際には製鉄することはできなかったようですが、現存する反射炉は徳川幕府が築いた伊豆韮山反射炉と萩の2か所だけです。産業技術の歴史上貴重なものです。