今日は今上陛下の82歳のお誕生日です。昨年に続いて、今年の晩さん会の御言葉を紹介します。
国賓を迎えての宮中晩さん会で、天皇陛下は御言葉を述べられます。昨年は3人の国賓をお迎えしましたが、今年は、フィリピンのベニグノ・アキノ大統領(6月)お一人でした。
アキノ大統領はノイノイの愛称で国民に慕われています。父はマルコス政権下で暗殺されたニノイ・アキノ上院議員、母はフィリピンに民主主義を復活させたコラソン・アキノ大統領です。
アキノ大統領が就任した2010年以降、汚職の撲滅や財政健全化が進み、国際的な信用が格段に増したこともあって、2012年以降はASEANのなかでトップクラスの成長を見せています。
日本の8割の国土に8割の人口を有する地域大国であり、英語能力が高いという強みもあります。アキノ政権の安定した政治体制が継続することで、継続した成長が見込まれています。
私がフィリピンを訪問したのは6~7回でマニラ市と近郊の工業団地に限られます。そこで、出会ったフィリピンの方は、皆さん明るく穏やかです。ビジネスで付き合う方々は一様に聡明で論理的ですし、商店などでの接客にも暖かい気持ちがこもっています。
さて、天皇陛下がアキノ大統領を迎えた晩さん会で挙げられた人名は、次の方々です。
先ず、高山右近と内藤忠俊という2人のキリシタン大名。徳川幕府のキリスト教禁止を逃れて、フィリピンに渡り彼の地で亡くなりました。今年は高山右近の没後400年に当たるそうです。
この当時から、日本とフィリピンの交流は続いています。現在では約2万人の日本人がフィリピンに住み、約20万人のフィリピンの方が日本に住んでいます。
次に、天皇陛下が感慨深いと言われたのがフィリピン独立運動の指導者アギナルド将軍です。
19世紀にスペインの植民地であったフィリピンは、1896年に独立を目指した武装闘争を開始しました。フィリピン革命と言われるこの闘争は一旦は失敗に終わりますが、キューバ問題からアメリカとスペインの間で戦争が起きたことから、アメリカの支援を受けることで1898年にフィリピン共和国の独立が宣言せれます。
その革命の英雄にして、フィリピン共和国の初代大統領がアギナルド将軍です。
その後、フィリピンはアメリカとの戦争に敗れて、改めてアメリカ統治下に入ることになります。そして、太平洋戦争の開戦によって進軍してきた日本軍が1942年にフィリピン全土を占領します。 大戦後のフィリピンは、再びアメリカの植民地となりますが、1946年についに再独立を果たします。この間も、フィリピン共和国の独立に力を注ぎ続けアギナルド将軍は、独立記念式典でフィリピン国旗を高々と掲げました。
それから60有余年を経た1962年に明仁皇太子殿下・美智子妃殿下はフィリピンを訪問します。
既に93歳になっていたアギナルド将軍は、1898年にフィリピン独立を宣言したカヴィテ州に皇太子夫妻を迎え、自宅に招待するなどの歓待をしました。
当時の皇太子夫妻は結婚して3年目の、初々しいプリンス・プリンセスです。この様子は、フィリピン全土に伝えられて、戦争で荒んでいたフィリピンの方の対日感情を好転させる契機になったということです。この翌年、アギナルド将軍は94歳の生涯を閉じられます。
日本とフィリピンは、共通の価値観を持ち、長い年月に渡って関係を持っている間柄です。
日本とフィリピンの国交正常化60周年を迎える来年初めに、天皇皇后両陛下がフィリピンを訪問されることが決まりました。日比両国の協力関係が一層進展することを願っています。
天皇陛下がいつまでもお健やかでありますよう。