愛媛県に来ています。ちょっとびっくりする話を聞きました。
愛媛県今治市といえば、タオルの街というイメージがあります。国内の50%を以上を生産する最大のタオル産地です。極めて高品質な今治タオルは、「ジャパン・ブランド」として確立しています。世界中に販路が拡がっており、年間出荷額は150億円を超えています。
もう一つ、今治と言えば今治造船です。今治市に本社を置く今治造船は、売上高が4000億円を超える日本最大手の造船会社です。(2位は、石川島播磨・日立造船・日本鋼管の大手三社が合流したジャパンマリンユナイテッドです。)
ここまでは何となくわかっていたのですが、今治の海事産業の凄さは、傭船主の存在だそうです。日本の外国航路の商船は2800隻ほどあるのですが、今治市の会社がその3割以上を占めています。
外航商船の場合、名義的な船籍はパナマやリベリアになっています。しかし、実質保有では日本は世界の16%を占めてトップです。その3割ですから、世界の海を行く大型商船の5%は今治の船ということになりますか?。ちょっと、びっくりします。(すみません。商船の国籍とか種別はややこしくて、よく理解できていません。誤解あるかも?)
今治市の人口は約18万人ですが、平成の大合併で12市町村が一緒になる前の旧市では10万人くらいの小さな町です。ところが、今治市にある某メガバンクや某大手損保の支店は、全国でも有数の大きな取引をしているそうです。
藤原純友の乱は、940年に海賊討伐に伊予に赴任した純友が、逆に海賊を統合して1000艘を超える水軍を組織して、反乱を起こしたものです。この時期に、伊予では海に生きる民が強い力を持っていたことがわかります。
その後、伊予の海民は、源平の戦いでキャスティングボードを握ったり、厳島合戦で毛利氏の勝利に貢献したりしました。
三島村上(さんとうむらかみ)と呼ばれる村上水軍は、因島・来島・能島の3つの島を本拠にしていたのですが、今治のすぐ沖にある能島村上が最も力がありました。村上水軍は瀬戸内海を支配しただけでなく、東アジア全体の海に進出していました。
その後、豊臣秀吉によって村上氏の水軍としての歴史は閉じられるのですが、伊予の水軍の伝統が、今の繁栄につながっているのかも知れません。