老子の教えは毎週日曜日に掲載しています。当初は連載の予定ではなかったので、八章からスタートしてしまいました。先週で最終の八十一章まで進みましたので、一章~七章に戻ります。
今日は、第一章です。
有名な第一章です。ただ、なんだか難しくてよくわかりません。
冒頭は「道の道とすべきは、常の道にあらず」です。よく耳にしますが、何のこっちゃ?ですね。
まぁ、少し意訳しますと・・
社長が従業員を愛するなら、真理は「ありのまま」に見えます。お金を愛している社長ならば、「ありもしない」夢まぼろしを見ます。
この二種類の社長だと、大違いに思えますが、実は同じところから出ているのです。だって、どちらも何かを愛していることに変わりがないでしょう。どちらも自然にそうなっているのですから。
ただ、同じ自然な振る舞いでも、「道」に従っているか、従っていないかの違いがあります。
そういうよくわからないものの奥に、素晴らしいことがあるのです。
さて、老子には「玄」という文字がよく出てきます。糸を束ねた象形です。
意味は国語辞典では以下のように書かれています。
1 赤または黄を含む黒色。
2 老荘思想で説く哲理。空間・時間を超越し、天地万象の根源となるもの。
3 微妙で奥深いこと。深遠なおもむき。
糸を赤い染料で何度も染めたものだそうで、繰り返し染めることで黒い色になるのだそうです。
そういうことから、老子は、深くて遠くて、判り難くて難しい、真理や根源のことを「玄」と言っています。
道可道、非常道。
名可名、非常名。
無名天地之始、有名萬物之母。
故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。
此兩者同出而異名。
同謂之玄。
玄之又玄、衆妙之門。
「道」というものは、説明できるようなものではない。
「名」というものも、これだとはっきり言えない。
天地の始まりには「名」はなく、万物の根源にだけ「名」がありました。
いつも無欲だとものごとは”ありのまま”に見え、欲が有ると“ありもしないもの”が見えます。
”ありのまま”も“ありもしないもの”もそもそも同じことです。
同じように「玄(よくみえないもの)」と言います。
「玄」の奥にも「玄」があり、天地の真理への入り口です。