宗像大社・沖ノ島~海の正倉院

 2017年の世界遺産の国内候補が、「宗像・沖ノ島」がなることがようやく決定しました。

 

ようやくと言うのは、2009年に暫定リスト入りしたので、もっと早い時期に登録になるのではないか?と思っていたからです。

 

宗像大社は、福岡県宗像市にある神社ですが、九州本島にあるいわゆる宗像大社(辺津宮)だけでなく、神湊から約10km沖合の玄界灘に浮かぶ大島にある中津宮、辺津宮と中津島を結んだ直線の延長線上(神湊から約60km)の沖ノ島にある沖津宮の全てを含んで宗像大社と言います。

 

沖ノ島は、博多や対馬(厳原)から約80km、韓国釜山から約145kmと玄界灘のほぼ中央に位置する小さな島です。沖ノ島はその位置から、日本と朝鮮半島を結ぶルートの灯台(道しるべ)の役目を古来より担ってきました。

 

この島は断崖に覆われた孤島であり、全島を神が宿る島として祀られています。この信仰のため、航海の安全や、朝鮮や中国との外交の成功を願って、多くの宝物が供えられました。

4世紀にはじまる宗像・沖ノ島への信仰は今日まで途切れることなく続いており、「沖ノ島で見聞したことを他言してはならない」「一木一草一石たりとも持ち出さない」「女人禁制」などの禁忌は守られ続けています。

 

この結果、沖ノ島には全く手つかずの宝物が残されることとなりました。沖ノ島では、戦後になって1954年から発掘調査がおこなわれました。出土した銅鏡や勾玉、馬具や壺など約8万点が国宝に指定されています。ちなみに、日本の国宝の数は約1100件ですが、沖ノ島のように多量の宝物がある場合は「一括」して1件になります。

 

世界の歴史でも、沖ノ島のように1700年に渡って守られている神域は稀有だと思います。今後も守り続けるために「世界遺産」として登録されるのは望ましいことだと思います。 

 

さて、大海皇子(のちの天武天皇)は大陸との交流を重要視していました。この状況を視察するために九州・宗像を訪問した際に宗像氏の娘を見染めて妃とし、二人の間に生まれたのが高市皇子だそうです。ここから始まった皇室との関係があり、宗像大社の社領(現在の福岡県宗像市と福津市の範囲)は大化の改新による公地公民の制でも例外とされて、江戸時代になって黒田長政が支配するまで独立を守り続けました。

 

しかし、実際にこの独立を可能にしたのは、中国や朝鮮との交易で大きな利益を得ていた、山口の大内氏の支援です。このあたりの歴史を整理すれば、山口の新しい歴史や観光の資源にもなりそうですが、・・。

ちょっと、山口県は「遺産過多(笑)」でお疲れなのでしょうか?話題になりません。