グッチ家の失敗・・事業承継の3要素

山口県中小企業診断協会の経営フォーラムでのお話です。有名な話だそうです。

 

近年は、団塊世代のリタイアが進んでいて、円滑な事業承継が大きなテーマです。中小企業でも、M&Aが増えていますが、基本は今でも親族承継(特に実子への承継)です。

 

事業承継には3つの要素があり、全てが必要です。

1)地位の承継 ・・ 外形的な承継で、社内/社外の両方に承継されたことが明確である。

2)経営の承継 ・・ 経営ノウハウだけでなく、経営に関する関係性を移転します。

3)資産の承継 ・・ 事業用資産や自社の株式を、適切な時期に承継させます。  

有名ブランド「グッチ」は、1922年に創業者グッチオ・グッチがイギリスでの出稼ぎで貯めた資金を元手にフィレンツェで輸入カバンの販売店をはじめたのがスタートです。

 

グッチオの3人の息子のうち長男アルドが優れた手腕を発揮して「グッチ」を大きく成長させました。

したがって、グッチオ社長はアルドにうまく事業承継ができていればよかったのですが、何の指示もしないままに1953年に73歳で亡くなります。

 

このため、グッチの株式は3人の息子に等分に譲られることになります。

アルド・次弟バスコ・末弟ルドルフォです。バスコはグッチの仕事をしていましたが、ルドルフォは映画俳優でした。

 

当然ながら、アルドがグッチオの跡を継いで二代目社長になり、その年にはニューヨークに支店を開設するなど「グッチ」はアルドの手腕で世界的ブランドになっていきます。アルドにはの3人の息子(長男ジョルジョ・二男パオロ・三男ロベルト)がいましたが、皆「グッチ」の仕事に着きます。

 

ルドルフォも、一人息子のマウリチオが生まれた後で、売れない俳優業に見切りを付けて、「グッチ」の仕事に参加します。その後、マウリチオも「グッチ」の仕事につきます。

 

その頃、次弟バスコが亡くなって、保有株式ををアルドとルドルフォが等分で買い取ります。このときが第二のチャンスでアルド社長がその株式を単独で取得しておけばよかったのですが、どうもアルドという人は人が好いというか、そんなことをしません。

この時点で、アルドとルドルフォは50%ずつの株式所有となります。

 

次に、アルドは三人の息子が40歳代になったころ、自分の株式の五分の一を三等分して譲ります。この時点で、ルドルフォ50%・アルド40%・ジョルジョ3.3%・パオロ3.3%・ロベルト3.3%の株式保有になります。3人の子どものうち一人がルドルフォと組めば、経営権を奪うことができるくらいは自明ですが、そんな意識はなかったようです。

 

案の定、アルド社長と二男パオロの対立が表面化して、それに便乗してルドルフォが経営権を握ろうと画策します。泥沼の争いのなか、ルドルフォは亡くなりますが、何故か全株式は息子マウリチオに生前贈与されていました。(後に偽装とわかります。)

 

この結果、マウリチオが株式50%所有の筆頭株主となります。マウリチオは従兄であるパオロを騙して議決権を得たうえで、アルド社長を解任して自らが社長になります。アルドは自身の株式を中東の石油資本に売却して「グッチ」の同族経営は終わります。

 

マウリチオには経営能力は無かったので、「グッチ」経営は迷走を続け、その後もいろいろあるのですが、最後は1995年にマウリチオがマフィアに射殺されて幕が降ります。マフィアに依頼したのは、マウリチオの妻パトリチアでした。ここで、グッチ家は破滅しました。

 

事業承継は同族企業にとって困難な問題です。三代の事業承継ができれば奇跡と言われます。

経営者の最大の仕事は後継者を決めること、そして後継者に3つの要素を確実に移転することです。グッチオはアルドに過半数の株式を生前に譲っておくべきでした。アルドもバスコの株式を単独で取得するべきでしたし、自身の後継者を早く決めて権利譲渡の準備をするべきでした。

 

皆さまも、十分に気をつけて対策をおこなってください。