スティーブン・ホーキンスはガリレオが死んだちょうど300年後(1942年1月8日)に生まれて、ニュートンと同じケンブリッジ大学数学科の教授を務めました。
今日は、エイプリルフールです。
「ニュートンはガリレオの死んだその日に生まれた」という話は、よく知られているのですが、ウソです。
但し、このウソは(書いている人もウソだと知っているのですが)そのまま書いても構わないという暗黙の了解があるウソなんだそうです。
発端は、ガリレオが死んでニュートンが生まれた17世紀前半は、紀元前から使われていたユリウス暦から、現在の西暦(グレゴリオ暦)に変わっていく時期に当たるということです。
※ローマ教皇グレゴリウス十三世が1582年10月4日の翌日を1582年10月15日にすると布告しました。
ユリウス暦も太陽暦ですが、地動説の計算によっていたので長い年月で遅れが生じました。その分10日を一気に調整したわけです。それから、約60年後のことになります。
ガリレオの死は、グレゴリオ暦では1642年1月8日になります。ニュートンの誕生は、ユリウス暦で1642年12月25日です。こうすると、二人の生死が同じ年になるということから、「ガリレオが死んだ年に、ニュートンが生まれた」となりました。そして、いつの間にか「同じ年」が「同じ日」に変わっていったということです。
何故、後から生まれたニュートンが60年前の古い暦を使っているのかという疑問には、当時のイギリスはグレゴリオ暦の採用が遅れていたというちょっと苦しい説明がつきます。
ニュートンの誕生をガリレオの死と同じくグレゴリオ暦で表すと、1643年1月4日となります。10日の遅れでも、なんとか365日以内なのですが年が明けてしまいます。これでは、ガリレオとニュートンの間に、時間的なつながりが感じられません。そこで、誰かがついた小さな嘘が、時代を超えてそのまま定着していったのだそうです。
まぁ、この類のお話は古来たくさんありますね。皇帝の誕生が稀代の名君の死亡年と同じなので、生まれ変わりだと言うような神話です。