宇部市のお隣、山陽小野田市の厚狭(あさ)には「三年寝太郎」という民話があります。
あらすじは次のようなものです。
『太郎は厚狭の庄屋の息子ですが、仕事もしないで三年三月の間寝続けていました。
ある日突然起きだして、千石船と船一杯のわらじ(草鞋)を造ってもらうと船出します。
太郎は、佐渡金山に迎い、人夫が使っていた泥のついたわらじと持ってきた新品のわらじを交換してもらいます。
厚狭に戻ってきて、泥のついたわらじを洗うとたくさんの砂金が獲れました。
太郎は、この砂金を原資にして厚狭川に堰を作り、灌漑水路を整備して田を開墾し、村の百姓に分け与えました。』
この種の民話は各地にたくさんあります。信州のものぐさ太郎なんかも同じですが、最も知られた民話が「厚狭の三年寝太郎」だと思います。
「厚狭(あさ)」という地名がちょっと面白いですよね。「朝」と読みが同じなのもあって、「アサまで寝太郎」という米焼酎もあります。
しかし、「厚狭」のサは砂鉄のことだそうです。古来、この地では砂鉄が採取されて製鉄が盛んに行われていたそうです。製鉄や鍛冶の職についていたのは、朝鮮半島から渡来の方が多いそうです。
山口のお殿様である大内家の祖は、百済の聖王の第三皇子・琳聖太子とされています。琳聖太子のお母さんである聖王妃も渡来しており、その上陸地が厚狭だそうです、厚狭の鴨神社では聖王妃を祀っています。厚狭にも多くの渡来人が住んでいたかも知れません。
寝太郎は誰かというのには諸説ありますが、この製鉄をしていた技術者であったという説もあります。早朝から起きだして働く農民からすると、朝ゆっくりしている製鉄技術者はいつも寝ているように見えたということです。佐渡金山の情報を持っていて、灌漑などの土木技術を身に着けていたということからすれば、正解かも知れません。
ついでに、「鳴かず飛ばず」という言葉があります。普通は「活躍をしないで目立たない」というネガティブな意味で使われます。
しかし、本来は「有能な働きができる人が機会を待ってじっとしている」ことを言います。
楚の荘王は即位しても、三年の間、愚かな振る舞いをしていました。
これを部下が諌めたところ「楚の鳥は、飛べば高く、鳴けば驚かすことができる。しかし、三年間は、飛ばず鳴かずに機会を待つのだ。」と応えました。荘王は三年間でじっくり見極めていた有能な部下を集めて大いに働き、ついには春秋の覇者となったという故事です。
この楚王の故事が三年寝太郎のお話の下敷きになっていると言われます。